07th Expansion Wiki
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These interviews were originally published in Faust Vol. 7 in August 2008. The first interview was held sometime before the release of Legend of the Golden Witch. The second interview took place after Legend's release. The third interview took place after the release of Turn of the Golden Witch.

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Interview 1 Transcript[]

竜騎士07(以下、竜):07th Expansionの新作、『うみねこのなく頃に』の舞台は伊い豆ず七しち島とうの近辺にある架空の島、六ろっ軒けん島じまです。実際にとある島まで取材に行ってみたんですが、その取材で初めてわかったことは、「孤こ島とうに洋館があるわけがない!」ってこと(笑)! あるのは漁村と民宿だけなんですよ。だから取材旅行に行って一番役に立ったことは、「あ、孤島洋館ミステリーってファンタジーなんだ」って思えたことなんです。そしてファンタジーなんだから、世間の人が最大公約数的に理解している「孤島洋館もの」を構築していくしかない。「写真に写ってるからこうなんだよ」というリアリズム的なアプローチじゃなくて、「皆が持っているイメージの最大公約数的な世界を作っていこう」というファンタジー的なアプローチで物語を組み上げていかなきゃだめなんだってことがわかっただけでも取材に行った価値がありましたね。

──きっちり取材をしたものは必ず生きてくるんですよね。僕もイラストレーターのともひさんと一緒に『ひぐらしのなく頃に』の小説版のイラストの取材で白しら川かわ郷ごうへ行ってみて改めてそれがわかりました。『ひぐらし』ファンは騙だまされたと思って本当に一度は白川郷へ行くことをオススメしますよ。とにかく、竜騎士さんの作品は頭のなかだけでひねり出した作品じゃなくって、体から出てきているものですよね。

竜: そういうものに『うみねこ』もなるといいですね。まあ、今回は孤島ものとはいっても、ずっと雨で館やかたの中に閉じ込められてる状況ではあるんですけど(笑)。

──皆、引きこもっていますからね(笑)。

竜: 今は『ひぐらし』を書いたから見つけることのできた自分らしさを生かしつつ、それと同じものを書いていても仕方がないので、脱・『ひぐらし』を図りたいと思っています。だから『うみねこ』を書いていてすごく気にしたのは、『ひぐらし』じゃない話、ですね。そういうわけで雰ふん囲い気きをガラッと変えて、今回はオープニングムービーも作ってみました。

──あのムービー、カッコよかったです。効果的でしたよ。

竜: ありがとうございます。あのムービーの意図は最初に徹底的に洋風なところを見せることによって、前作の『ひぐらし』の和風の世界からは色いろ眼鏡めがねを外してご覧になって下さい、というのがあるんですよ。私は『うみねこ』では古き良き時代の典型的な古典ミステリーに取り組んでみたかったんです。たとえきちんと読んでみたということがなくても、誰もが「アガサ・クリスティが孤島の洋館ものの傑作を書いた」ということは知っているわけですよね。そういった誰もが知っている王道に対するオマージュというかリスペクトというか……一度はくすぐったいくらいの王道をやってみたいっていう思いがあったんです。それに今、そういった方向性の作品は案外ないなと思って──EPエピソード1だけは徹てっ頭とう徹てつ尾びに王道で。EP2からはそれを一気に崩くずしにいきたいんですけど。

──EP1はまさにミステリーの超王道でしたね。今の時代において、僕はすごいチャレンジだなと思っています。もともと僕は講談社ノベルス出身でミステリー畑の編集者なわけですが、残念ながら最近はミステリーというジャンルの放っているパワーがとみに落ちてきているのを肌で感じています。全盛期はやっぱり五、六年前くらい。とくに王道のものは今はめったに書かれないし、若い読者はその存在じたいを知らなかったりするんですよね、皆。

竜: 今の主流のミステリーの方向は仕掛けをどんどん捻ひねって捻って……っていうほうにばかり進んでいますからね。かつて誰もが期待した「孤島の洋館もの」っていう題材は何十年も昔に閉ざされて以来、あまり多く書かれてない時代だと思うんです。

──あ、小説の世界では決してそういうことではないんですよ。日本では九〇年前後を中心に「新本格ミステリ」という古典回帰のムーブメントがあって、綾あや辻つじ行ゆき人とさんや有あり栖す川がわ有あり栖すさんは初期に「孤島の洋館もの」を書かれていました。綾辻さんには他ならぬ「館シリーズ」がありますしね。いや、ここが竜騎士さんのすごいところなんですよ。あれだけのものを書いているんですから普通は読んでいるはずなんですよ。傑作を読まずに傑作を書けてしまっているところがすごい!

竜: 勉強不足ですみません。ただ、今のサウンドノベルというジャンルそのものが捻ったミステリーかファンタジーしかないような世界になってしまっているのは確かなことで、私自身の『ひぐらし』もミステリーのなかではかなり異端な部類の話だった。だから『うみねこ』では『弟おと切ぎり草そう』や『かまいたちの夜』の時代に戻りたかったんです。いわゆるサウンドノベルの原点ですね。小説としては今ご指し摘てきいただいたように既に出ているジャンルではありますけども、サウンドノベルとしては原点回帰だと考えています。

──我あ孫び子こ武たけ丸まるさんの『かまいたちの夜』は典型的な雪山山荘もので、ミステリーの王道中の王道、まさに原点でしたね。

竜: 『うみねこ』の設定はいわゆるクローズド・サークルですから、外部と隔かく絶ぜつされている場所で事件が起こるというところは『かまいたちの夜』とそっくりですね。

──今、竜騎士さんがミステリーの王道に挑戦をするっていうことに対して、僕はミステリー好きのミステリー編集者として驚きとともにエールを送りたい気持ちでいっぱいです。しかし同時に、ちょっと忸じく怩じたる思いもあるんです。そういった挑戦が小説の側からではなく、ノベルゲームの側から為されているということに関しては正直言うと僕は寂さみしいんです。でも、『うみねこ』を遊んだ若いプレイヤーが「孤島」「密室」「館」「アリバイ」「物理トリック」なんていう基本的なミステリー・リテラシーをどんどん身につけていくであろうことは本当に嬉うれしいことです。

Introduction to "Yokozuna Sumo"![]

"横綱相撲"の導入部!

──今回の『うみねこ』をプレイしていて「あ、これは筋がすごくいいなあ」と最初に感激したのが物語の導入部、道行きの部分です。惨さん劇げきの舞台となる六軒島に赴おもむく道行きのあいだに、既にして登場人物たちの関係が浮き彫りになってくる。この見せ方、アプローチが本当にうまいんです。

竜: 今回は登場人物が十八人もいるので、まずその名前を覚えてもらうパートを最初に作ってみたんです。

──十八人、この『うみねこ』の登場人物の多さについては発売前の現状ではかなりの人が不安視しているところだと思うんですが、しかし全く問題はない! ってここで何な故ぜか僕が断言しちゃいましょう(笑)。

竜: ああ、それは良かったです(笑)。

──いずれ、「発売前にはそんな小さなことを心配してる人がいたんだね」くらいの話になりますよ。僕は十八人はいっそ少ないくらいだと思います。だって、館に着くまでのあいだに、まるでプレイヤー自身が館に行っているみたいにリアルに登場人物たちに感情移入できる道行きになっているじゃないですか。そこがまず本当に素す晴ばらしいですよね。

竜: ありがとうございます。

──いやいやいや。自信はあるくせに!

竜: いやいや、やっぱり今が一番ナーバスな時期なんですよ。今が一番危ない時期です。ものすごく評価を知りたい半面、ものすごく打たれ弱い時期で……正直、山に籠こもりたいくらいなんですよ。物語の初日は徹底してキャラクターの自己紹介にしたいんだけど、しかしそこでミステリーの雰ふん囲い気きがダレないようにもしたい。そのあたりの匙さじ加か減げんが本当に難しくて。あんまりせかせかし過ぎるとキャラクターを説明しきれないし、かといってキャラクターの説明をしすぎるとミステリーの展開にはいつまで経っても入れないし。きな臭くさいギリギリのところを追求したつもりですが……実は今でも自分ではそのあたりの上じょう手ずな匙加減がわかっていないんです。

──いやいやいや、本当に素晴らしいなって思いましたね。飛行機から船に乗り継いで六軒島まで赴く過程で、キャラクターの性格が非常に自然に摑つかめてくる。まるで横綱相撲を見ているような感じでしたよ、『ひぐらし』で声価を得た男の横綱相撲をね。行間から竜騎士さんの「まあ待ってなよ、これからゆっくりきっちり楽しませてやるぜ!」みたいな気合と余裕がひしひしと伝わってくるんです。

竜: そんなことないですよ(苦笑)。ただ、『ひぐらし』で私も色々と勉強したので、頑がん張ばって前作を超えなきゃいけないなとは思っていました。それに、今回の作品はあくまでもEP1なので、これを見て「期待が持てないな」と思われたらそれで終わりなんです。だからとにかくEP1はがっちりとプレイヤーの気持ちを摑んでいきたいし、『ひぐらし』の「罪滅し編」のラストで勇ましく終わらせたのが非常に評判が良かったので、『うみねこ』のEP1もやっぱり絶叫で終わらせたかった。「おおおおおーっ」という、あのラストの文字のデカさにその気持ちを込めてみたんですが……だから今回の演出では〝迫力〟を一番重視しましたね。サウンドノベル的な演出──音にもかなりこだわりました。

──そう、『うみねこ』は音がね、効果音もBGMも本当に素晴らしい! 同人ゲームの領域を遥かに越えた高みに到達しつつありますね。

竜: ありがとうございます。仰おっしゃるとおり『うみねこ』では音関係のスタッフに恵まれたと思います。とくに時計の音には徹底的にこだわってみたんですよ。まあ、〝サウンド〟ノベルなわけですから、そのサウンドがヘボかったら元も子もありませんからね。

──『うみねこ』のサウンドの演出はまさに最強でした。『ひぐらし』の舞台が〝閉鎖社会〟だったとすると、今度の『うみねこ』の舞台は〝閉鎖空間〟ですよね。半径五十メートルぐらいで劇空間を完結させなきゃいけないわけで、必然的にビジュアル面での見せ方がかなり厳しくなってくるはずなんです。そこで竜騎士さんは雨の音や時計の音といったサウンドノベルならではの演出を効果的に使うことでマイナスを上手うまくプラスに転化しているなと感じました。これはぜひいいスピーカーで、いや、いいヘッドフォンのほうがいいかな──とにかくいいオーディオ環境で聴くべきでしょう。

"Anger" and Creation![]

"怒り"とクリエイション!

竜: EP1を作り終えての後悔──というほどのものでもないのですが、やっぱりEP1は大きな全体の第一話なので思うように羽は目めが外せなかったという嫌いはあります。「皆様いらっしゃいませ。ようこそ」……ビーッとブザーが鳴ってから劇は始まるじゃないですか。どんな過激な劇だって、ブザーまではやることが同じだと思うんです。今回でようやくブザーが終わったので、次から羽目が外せます。

──終わってから次の作品のことをすぐに考えられるのってすごいですね。EP2はどんな方向性でいくんでしょうか。

竜: EP2でどんなふうに羽目を外していくのかと考えていったとき……今はまだ〝怒り〟が足りないんですよ。私の原点は〝怒り〟や〝反骨精神〟にあるんですけれど、今はようやくEP1が終わったという脱力感でいっぱいの段階で、まだ心が甘えているんですよ。EP1を作っている最中は「もっと、こうしてやる!」っていう勢いがあって作品を出していたと思うんですが……今は少し疲れていますね。

──竜騎士さん、今疲れてなかったらおかしいでしょう、常識的に考えて。

竜: いや、早くその情熱を取り返したいですね。今、EP2のプロットを考えているところなんですけど、まだ軟弱なんです。もっと過激な、もっと見てる人を「何だこりゃあ!」って気持ちにさせるようなものを閃ひらめくには、もっと満身に〝怒り〟を溜ためていかなきゃいけないんです。

Going from Higurashi to Umineko[]

『ひぐらし』から『うみねこ』へ

──前作の『ひぐらし』から新作の『うみねこ』へと作品が移り変わるにあたっては、その舞台が閉鎖社会ものから閉鎖空間ものとなって狭くなり、人間関係も人口二千人ぐらいの村から二十人足らずの館へと百分の一になった。そこで何か大きく変わったことってありますか?

竜: 私の作品は基本的に会話で成立しているじゃないですか。しかも今回の『うみねこ』は雨が降りしきるなかで皆が疑ぎ心しん暗あん鬼きに陥おちいって延えん々えんと話し合うという重苦しい内容で、絵的にはすごく苦しかったですね。動きも何もなく、皆で客間で頭を抱えてるシーンなんかはとくに難しかったです。作っていて面おも白しろい面ももちろんありましたけど……悩み抜きました。物語的には、連続殺人もののジレンマで、これはかつてクローズド・サークルをおやりになった全先生が通った道なんですけれど、殺人が発覚したら、登場人物たちは一度は全員が一堂に集まって待機しようとするんですよね。じゃあ、その結束をどう崩していくか。

──最初の被害者が出て、全員が集まったところでお互いがお互いを信頼して結束すれば、それ以上の事件は起こらないはずなんですよね。

竜: ところが、多くの先生方は何らかの理由をつけて、一度集めた登場人物を離散させる。そして個別に彼らを殺していく。しかし説得力のある離散の描写は、本当に難しいですね。

──『うみねこ』の終盤で、右う代しろ宮みや金きん蔵ぞうの書斎をそれまで生き残っていた登場人物が出ていく場面は本当に怖かったですよ。「ああ、今までの自分たちの言動が悪かった……」と皆がいったんは反省したところで「いや、その反省こそが実は魔女の姦かん計けいかもしれない!」という見方が魔方陣の出現で明らかになるじゃないですか。あの落差がたまらない。

竜: 私としてはあそこは、「神秘的な描写で部屋を出るに値あたいする動機が作れないかなぁ」とひとしきり悩んだところです。私も『ひぐらし』でプレイヤーの感情の揺ゆさぶり方をだいぶ勉強したので、ある感情の前に別の感情を上げたり落としたりという意味では、あの書斎のなかでのイベント回しは、私なりによくできたんじゃないかなと思いますね。

──あのシーンから、今回のすごく大きなひとつのテーマは〝魔女狩り〟だと感じました。「お前は多数派なのか少数派なのか?」みたいなね。

竜: そう、「疑うたがわしきは追放する」という、あのシーンは典型的な魔女狩りですね。

──『うみねこ』は不ふ思し議ぎな物語ですよね。個々人が「正しい」ことを信じるからこそ、他人が信じられなくなるわけです。そのジレンマが心に突き刺さってきます。そういった正義の応おう酬しゅうの果てに、連続殺人が行われているんじゃないかとすら僕は思うんですよ。

A Human, Or a Curse?![]

"人"か、"祟り"か⁉

竜: 『ファウスト Vol.5』での奈な須すきのこさんとの対談でも言ったことだと思うんですけど、『ひぐらし』で事件を起こしているのは人側か祟り側かという問題では、私は祟り側にプレイヤーを引き込むのに失敗したんです。『ひぐらし』ではプレイヤーは早々に人側が犯人だと決め込んでしまうわけです。だからこそ「皆殺し編」で羽は入にゅうが登場した際に「誰だよ、こいつ!」って批判があったわけですが。それもあって、『うみねこ』ではいきなり番外となるティー・パーティーで『ひぐらし』のオヤシロさまにあたる存在──魔女が堂々と出てきちゃうわけです。あれで、事件を起こしているのは人側説のプレイヤーを奈落の底に突き落としてみたかったんですね。

──あそこは痺しびれますよね。立ち絵のグラフィック付きで魔女が出てくる。「ここまでやるか!」とあれにはびっくりでした。

竜: 今回の『うみねこ』には「事件を起こしているのは人側か魔女側か?」という大枠があって、「これはミステリーだから当然、人側だ」と最初は思わせておいて、「しかし魔女がいるならこれはファンタジーなんじゃないか?」と後で迷うように、かなり凶悪な感じに仕上げてみました(笑)。

──ラストで魔女がちょっとだけ笑うところとか、もう。あそこは絶対にまばたきしちゃだめ!

竜: あの最後の魔女の表情は実は偶然の産物なんですけど、いい演出になりました。フィルターの関係で偶然にあの表情になってしまって、だけどそれがあまりにも出来が良かったんで、皆で「そのまま行こうぜ!」となりました。

──ノっていますね。いい作品の背後には必ずいい偶然がある。『うみねこ』はEP1にして既に完成された領域に突入しているし、ひとつの型を作っているので、竜騎士さんがEP2、EP3でこの形をどう崩していくのかが楽しみです。

竜: EP2では一気にファンタジーの世界に行きます。EP1のティー・パーティーで魔女の姿が実際に出てきても「どうせ人側の犯罪だろ」って九割九分のプレイヤーは高たかをくくっているんじゃないですか? だから次で、もうどうしようもないくらい魔女側説に話を持っていって、人側説のプレイヤーを徹底的に屈服させていくつもりで頑がん張ばりますよ(笑)。

Going from Yokomizo to Ranpo...[]

〝横溝〟から〝乱歩〟へ……

──さきほど閉鎖社会から閉鎖空間へって話をさせて頂いたんですけれど、これは日本のミステリー史でいうとまさに横溝から乱歩への先祖返りになっているんです。

竜: 江え戸ど川がわ乱歩の世界観──クローズド・サークル、隠し扉、変装……素人しろうとの作家がやったらそれはすごく恥はずかしいことなんですけど、江戸川乱歩がやるとそれが一流のエンターテインメントになる。乱歩先生の作品は今回、非常に意識しました。小学校の頃から「怪人二十面相シリーズ」を軒並み読んでいて、とても大好きでしたし。図書室で次々読んでいたんですけど、少年探たん偵てい団だんものって挿さし絵えがすごく怖いんですよね。昔の油絵っぽい絵が入っていて。

──ああ、ちょっとしたトラウマですよね。

竜: そのせいもあってね、あのシリーズはすごい猟りょう奇き的な本に見えたんですよ(笑)。

──いや、実際に猟奇的なんですけどね(笑)。子どもが読むにしては毒がありすぎるんですよ。なんにせよ、今ミステリーが、そのなかでも本格ミステリという領域が衰退してきているのって、僕が思うに皆がこういうことを盛んに言ったからだと思うんですよ。「これは本格じゃない」、「これはミステリーじゃない」って。

竜: 歌か舞ぶ伎きや相撲と同じで、伝統になっていくのと引き換えに何か大切なものが失われる。私みたいな若じゃく輩はいが言うべきことじゃないんですけどね、ミステリーは本来もっとエンターテインメントであるべきなんですよ。乱歩さんの時代は、そうだったと思いますよ。

──同感です。ミステリーはもっと自由なものであるべきなんでしょう。「これは本格じゃない」、「これはミステリーじゃない」って言葉を口にした瞬間に、思考停止に陥っちゃうんですよね。そう言いたくなる気持ちは分かるんだけど、論理を愛するミステリー者ならば、論理ゼロのその言葉を口にしてはいけないんじゃないかな。

竜: しかし、そう言いたくなる人の気持ちも一面では分かります。とくに最近では本格と変格の狭はざ間まにある、紙かみ一ひと重えを突いている作品が多いじゃないですか。本格っていうのも、だからある種の様式美、なのかしら。

──そう、本格はやっぱり様式美という側面があるでしょう。しかしだからといってそうじゃないものをどんどん排はい斥せきしていったら、それは非常に窮きゅう屈くつなものになってしまう。

竜: そうですね。私が考える本格ミステリはその根っこにパズル的な面白さのあるものなので、本来エンターテインメントとの相性は悪いものなんですよ。本格色を出せば出すほど、リアリティのある説得力を生み出すのが非常に難しくなってくるわけです。それでもコナン・ドイルの『まだらの紐ひも』を読んだとき、読者は素直に納得してしまいますよね。

──蛇へびが出てきてもね。

竜: 「紐に間違う蛇やら、嚙かまれて即死する蛇なんてそうそういないだろ!」って突っ込みどころは大いにあるんだけど。

──そもそも何故、蛇が夜な夜な牛乳を飲みに来るのか(笑)?

竜: ハハハ、でも、最初に読んだときには「ああ、そうなんだ!」としか思わなかったわけでしょう。案外、本格っていうのは論理の隙すきを突きつつ読むものじゃないんじゃないのかなっていう気もしますね。

──僕が大好きなミステリー評論家の巽たつみ昌まさ章あきさんは「うわ、俺、こんな面白いこと思い付いちゃったよ!」っていうのを開けっぴろげに皆の前で言いたくなってやっちゃう、そういう茶目っ気みたいなものがミステリーの歴史を一面では駆動させているんじゃないかと仰っていて、僕はそれを非常に正しい意見だと思うんです。

竜: 世の中は、得てして謎だらけなんですよ。

The Gap Between "Orthodox" and "Unorthodox"[]

〝本格〟と〝変格〟の狭間で

──今回の『うみねこ』での竜騎士さんの煽あおりっぷりは「貴方あなたに期待するのは犯人探しでも推理でもない。貴方が〝私〟をいつ信じてくれるのか。ただそれだけ。(中略)貴方が〝魔女〟を信じられるまで続く、これは永遠の拷ごう問もん」というプロローグの文章に代表されるようにものすごく挑発的、戦闘的です。

竜: そうなんですよ。太田さんはもう既にティー・パーティーまで終えられているからお分かりだと思いますが、『うみねこ』は魔女がプレイヤーに挑戦するという世界観になっていて、攻撃的なベースなんです。

──戦人ばとらが主人公格の登場人物で、僕らプレイヤーは彼の立場に立って、人間の、理性の側に立って世界を解釈しようとするんですけれども、そこにスーパーナチュラルな存在の魔女・ベアトリーチェが登場してきて、人間と神の戦いになってくる! 深いテーマですよ、これは。

竜: 『ひぐらし』に取り組んでいるあいだ私はずっと、「これは本格か否いなか」っていう議論を延々と見てきたんです。いくら『ひぐらしのなく頃に』をホラータッチのミステリー風に作ってあるとはいえ、「本格か否か」というのは、私が事前に想定した論争ではないんです。しかしそれが結果的にはすごく盛り上がった。だからこそ逆に、次回作ではこの熱心に論争している人たちをターゲットにしてみよう、この人たちにこそ楽しんでもらいたいな、と思ったんですよ。『うみねこ』は「本格か変格か」の戦いなんです。

──竜騎士さんは、今、とても重要なことを仰いました。『ひぐらし』という作品は「本格か否か」という問題提起を本格側の人間から受けたわけです。しかし『うみねこ』は、変格側の人間から「本格か否か」すなわち「本格か変格か」、もっと言うならば「本格とは何か」という問いを投げかける意識的なアプローチの作品なわけですね。

竜: そうですね。

──それはすごく力強いことですよ。これはミステリー史に残すべき問題提起なんじゃないかな。

竜: 私はもはやジャンルを分かつ必要もないと思いますよ。『ひぐらし』に対するプレイヤーからの質問で、「この作品のジャンルは何でしょう?」というのもありました。今回の『うみねこ』では、その問いに対する答えをキャッチコピーに込めていて──すごく攻撃的なんですけど、同時にすごく丁てい寧ねいなんですよ。どう遊ぶのかを、そこで示していますから。だから「本格か変格か」ってもっと一般の方向けに言ってみれば、「ミステリーかファンタジーか」、ということなんですね。

──そのキャッチコピーは、「こんなのミステリーじゃなくてファンタジー! あなたが悔し涙をぼろぼろ零こぼしながら、そう言って降参するところが見たいのです」。この煽りのセンスは超一流ですよ。僕も一生に一度くらいこういう調子で煽ってみたい(笑)!もう本当に尊敬します。素晴らしいですよ。

竜: いやあ、やけくそになってるだけですね(笑)。ここまで言ってのけるからこそ、皆、意地でも人側で、トリックで説明できるんだろ? っていう見方で『うみねこ』を見てくれると思いますしね。しかし、にもかかわらずEP2からはガンガンにファンタジー。ベアトリーチェが〝本編〟にも登場します! ティー・パーティーではなくて、現実の存在として現れちゃう。にもかかわらず、プレイヤーが魔女の存在をどれだけ否定し続けられるか?

──僕、その展開が出てくるのはEP3ぐらいからと思ってたんですよ。それがもうすぐ次に出てくるんですか⁉

竜: 私もやっぱり、まだ冷静な判断はできないですけど、リプレイをしているうちに「この程度じゃまだ皆、事件は人間の仕業だと思うだろうな」って判断したんですよ。なのでEP2から早くも……。

──いや、あのティー・パーティーを見たらそんなふうには思わないんじゃないかな(笑)。でもEP2から魔女が登場するのは、僕は大賛成ですよ。ベアトリーチェが真ま里り亞あに傘かさを与えるところから物語が始まっちゃったりするわけですね。

竜: それも手かな~。どこから始めるかはまだ分からない、まだ決めてる最中です。主人公を誰にしようかってところもまだ迷っているんですけど。下手をすると真里亞を主人公に……。いや、魔女が館を闊かっ歩ぽするところから始めるとか……まだちょっと考えているところなんですよ。

──結局EP1は「戦人対真里亞」の話なんでしょうね。ベアトリーチェが真ん中にいて、それが見える側と見えない側の話。

竜: プレーしてみた感想として、EP1が人側なら、EP2からは一気に揺り戻しをしていかないと。このへんのバランス感覚はやはり『ひぐらし』で培つちかったものがあります。とにかく戦人をどっかで一回、屈服させたいんですよね。

──戦人、彼はいい奴ですよね。

竜: いい奴です。『ひぐらし』の圭けい一いちとは全然違いますね。熱ねっ血けつ漢かんで直情的で涙もろくて、漫まん画がの主人公みたいな。やっぱりミステリーに抗あらがう探偵役は牽けん引いん力りょくがないといけない。「人側が戦う」ということで、名前も「戦人」です。

──おっ、そのあたりも乱歩テイストですよ。

竜: 乱歩の世界のミステリーも、明あけ智ち小こ五ご郎ろうが登場するまでは超常現象にしか見えないですからね。明智小五郎が登場してから、一気に超常現象のメッキが剝はげるというのがいわゆる少年探偵団シリーズの痛快なところで。だから戦人が果たして首尾よく超常現象を暴あばけるか。それとも超常現象に屈し、飲み込まれていくかっていう対立劇が『うみねこ』。だからある意味、プレイヤーを戦人にどんどん感情移入させていって、EP3やEP4あたりで屈服させることができたら、本当に気持ちいい(笑)。

──『うみねこ』は全体では何話ぐらいの構成になる予定なんですか。

竜: まだ漠ばく然ぜんとしか決めてないですけど、六、七話かなあ──と思ってると八話、九話になっていくのか……(苦笑)。だって『ひぐらし』も最初は五話ぐらいのはずだったんですよ。それがいつの間にか話が増えてきて、終わってみたら八話だった。『うみねこ』に関しては、だから現時点では六、七話だと想定していて、後は書いてみて筆の落ち着くところで終わりを決めてみます。『ひぐらし』は出題編と解答編で、一応各シナリオがフィックスしてるじゃないですか。でも今回はそのフィックスをやらないでおこうかなって。子ども向けな解釈を一切つけないで、今回は本当に置いてきぼりな話にしたい。

──『ひぐらし』式のルートパラレルの話が各話各話で出てくる構成っていうのは、僕は新しいストーリーテリングの可能性を本当に切り拓ひらいたと思っています。

竜: ありがとうございます。そのやり方はせっかく自分で切り拓いたやり方なんですが、今回はまたリセットします。

──『ひぐらし』の場合では、その新しいストーリーテリングの驚きがプレイヤーにあったんですけど、今回はその新鮮な驚きがなくなってしまうわけです。僕を含めて、ほとんどの人がそれに身構えてしまっているので(苦笑)。だからその上で竜騎士さんが何を見せてくれるのか? そういった読者のある種の甘えを利用して、どこまで残酷な事実を突きつけてくれるのかっていうのが今から楽しみです。

竜: やりたいこともまだまだありますし、『うみねこ』の場合は登場人物も多いですから、料理のし甲が斐いがありますね。『ひぐらし』の部活メンバーはいいとこ五、六人だったし、子どもばかりだったから描けるキャラクターの幅に限りがあったんですけど、『うみねこ』の場合はこれだけ大人おとながいれば何でもできそうです。

Charming Character Group[]

魅力的なキャラクター陣

──『うみねこ』のキャラクター表にはまだ空白があるのも気になりますね。今から伏線をたくさん張り巡らしてありそうで。講談社BOXの小説版『ひぐらしのなく頃に』を読んでくれている人の感想で、「竜騎士さんがこんなに最初から手がかりや伏線を張り巡らせてあったのがこの小説版を読んでみて初めてわかりました」というのがありました。あるいは、改めて読むと最初に読んだときはどうということもないシーンが実はとても悲しいシーンだったんだ、ということがわかったりもするじゃないですか。たとえば梨り花かちゃんに「大人になったらどうする?」って話を部活のメンバーが振るシーン。最初はそこをただ普通に読んじゃうだけなんだけど、今となっては「このときの梨花ちゃんの胸中を察するや、もう!」みたいな。きっとこういう仕掛けがEP1の時点でもちろんあるんだろうなーって思うんですよ。

竜: 今の段階では何ともいえないなあ(苦笑)。怪しげな伏線は山ほどあるんですけど……。

──『うみねこ』は一人一人のキャラクターに、設定の段階から分かりやすい胡う散さん臭くささがあって、とても気になってしまうんですよね。朱じぇ志し香かの喘ぜん息そくだったりとか、譲じょう治じがああいう大人の風格を身につける前はどんなだったんだろうとか。

竜: 譲治は『ひぐらし』の富とみ竹たけっぽいので、スタッフの中では評判が悪いんですよ。「何だか言ってることがいつも正論でムカつく」って。「富竹のくせに生なま意い気きな!」って(笑)。

──譲治、こいつにはぜひ裏があってほしいものですね(笑)。

竜: いい人すぎてムカつくし、あれだけ死亡フラグを立てまくったくせに何なに気げに生き残っちゃう。

──そう! 「俺、この一晩が終わったら結婚するんだ」なんて典型的な台詞せりふを口にするから「あ! 死亡フラグが立った!」って思ったのに、まんまと生き残る。「何だよこいつ!」みたいな(笑)。彼はまさに毎回正しいことしか言わないし、もしかすると実は戦人以上に癖くせのある奴なんじゃないかな。いやあ、この先の展開が本当に楽しみです。竜騎士さんは『うみねこ』において全員が一癖も二癖もある主役級のキャラクターを造形できているって思います。

竜: EP1は時系列の関係で、ほとんど出番がないままで死んじゃう人も少なくないわけです。だから次のEP2からは、今回目立たなかった人の活躍がなるべく多いように再配置しようかなと考えてますね。

──もしかして、料理人の郷ごう田だの大活躍もあるとか……?

竜: ハハハ、郷田は大活躍というより、もうちょっと出してあげてもいいかな、と。それに朱志香の出番があんまりなかったのが、ちょっとね。EP1ではあえて主人公の戦人を立てるために死んでもらったっていうところもあったので、次回は朱志香をもっと出したいなって思いがありますね。それから、真里亞の掘り下げはもっとやってもいいのかなとは思う。あとは紗音しゃのんがいきなり死んじゃったので、この子ももう少し長く生かしたいなあ……。うーん、やりたいことがありすぎますね。

The End of Intersecting "Generations"[]

交錯する「世代」の果てに

──『うみねこ』EP1のキャラクターは誰もが主人公になりうる濃さがあるとともに、人物どうしに明確な対立軸があるのもよかったです。ざっくり大きく二つに分けると子どもの社会と大人の社会、という明確な違いですね。

竜: 大人は大人の都合、子どもは子どもの都合、ついでに言うと年寄りは年寄りの都合で。各世代ごとにしか最終的にはわからない企みをしている。金蔵の息子兄弟たちは皆、銭の話しかしてないし、子どもはそんなの一切おかまいないし。

──ひとつの館のなかで、それぞれのキャラクターが全然別の暮らしをしていますよね。

竜: 世代差があるんですよね。大人の世代が悲観しちゃうような作品が近年多いように感じるんです。私は『ひぐらし』のときもそうだったんですけど、しっかり両親がいる作品にしたかった。だって世のなか、きちんとした年齢ピラミッドで見たら絶対大人のほうが多いに決まってるんです。だから今回のキャラクターはちゃんと年齢ピラミッドの比率に則してみました。男女比もフィフティー・フィフティーじゃないかと思うんですよ。

──ちゃんとした現実を書こうってことですよね。

竜: 若い女の子ばかりが登場してくる話は他に書いている先生が山ほどいらっしゃるんで、私が書く必要はないと思っているんです。

──もうひとつ思ったのは、非常に「昭和」を感じさせる設定なんですよね。つまり……ちょっと平成とは違うんですよ。おじいさんがいて、お父さんがいて、お父さんも何人も兄弟がいて。

竜: そうですね。少子化のせいもあって、そもそも「親族会議」という概念は古いですよね。

──僕はそこに竜騎士さんの「昭和」という時代へのノスタルジーを感じました。

Perspective of EP2 Onwards[]

EP2以降のパースペクティブ

──『うみねこ』のなかで、「『ひぐらしのなく頃に』という小説を読んだ」という一節が出てきたので思わず笑ってしまいましたよ。あれは講談社BOXで『ひぐらし』を読んだ人は、皆笑いますよ!

竜: そこはオマージュですね(笑)。小説版をBOXで出させて頂きましたので。『ひぐらし』を通じて読者との遊び方っていうのをそれなりに摑めたので、そこを特化していこうと思ったわけです。

──そういう意味では竜騎士さんは紛まごうかたなきプロのエンターテイナーなんですよ。自分のやりたいことをやりつつ、観客の目線も分かっていて、彼らを楽しませつつ自分も楽しむ。ただ勝つだけじゃなくって、お客を楽しませた上で勝つ。

竜: 新作をきっちり夏、冬年二回のコミックマーケットで出す、という半年に一回の発表速度を創作の現場に生かそうと思ったら、先に書いたものの評判を聞いて、新作を書く、というやり方があっていいと思うんですね。これを言っていいのかどうかはわからないですけど、今、一番私がやりたいのはネット上で皆が何が『うみねこ』の正解だと思っているのかについての最大多数意見を抽ちゅう出しゅつして、それを次の話で否定したいんですよ。

──おおー、なるほどなるほど!

竜: 「貴様らの推理はこれで崩れた!」ということを毎回示すんです。だから今、07th Expansionのサイトで人気投票と同じように真相投票の開催を考えています。真相を三行くらいで書いていただいて、上位トップ3の推理を次の話で打ち砕く。

──あなたは真里亞派か、戦人派か、みたいな。

竜: そうですね。しかし、ほとんどの人間は魔女が犯人だなんて簡単には認めないでしょうからね。でも、次回作以降ではそれを魔女があざ笑うかのように次々と定義を封鎖していく。たとえば……今回のEP1の事件では顔面を潰つぶされた死体が非常に多いんですよ。だからぶっちゃけて言うと、それは死体の入れ替わりトリックの王道でもあるじゃないですか。そこを疑ってくる人が絶対多いはずなんです。だとしたら、EP2ではすごくフレッシュな死体を出しておいて、入れ替わり不可能な、完全に被害者が特定できる死体を出す……ま、これは単なる一例ですけど。こんな感じでプレイヤーが期待している答えを次々と潰していく。彼らが犯人だと思っている人物を一番最初に殺してみせたりとか。

──それはもう、本当に楽しい話になってきますね。でも、EP2でいきなり真里亞視点になるかもしれないっていうのはものすごく意表を突かれますね。

竜: まだ考えている最中なので、ここまで言っていても、書いたらまた全然違う話になるかもしれないですけど(笑)。

──彼女のオカルトに対する傾倒は、よくわかる気がしました。オカルトは「もう一つの現実」を呼び起こすバーチャルなトリガーですよね。

竜: 妄想は現実逃避の糧かてですね。

──なかには本物の人もいるのかもしれないけれど、大多数のオカルト好きっていう人はたぶんそうなんですよね。オカルトにはある種のアカデミックなところがあるじゃないですか。教養体系みたいなところがしっかりあって、その気になったらお勉強ができるんですよね。でも、本当のお勉強は皆がまじめにやっちゃうから優劣が誰の目にも明らかな形であからさまについちゃうわけだけど、オカルトは勉強している人が少ないから、ちょっと勉強するとすぐに成果が出る。

竜: 自分の個性を出そうと思ったら、人がやっていないジャンルに傾倒するのは当然のことですね。彼女のように身体的にも勉強的にもあまり恵まれない人が何かの権威になるとしたら、人がやらない分野に傾倒するのが自然だと考えたわけです。他の子どもたちもそれをわかっているからこそ、彼女の「魔女が実在する」という話を否定しているんですよね。

──真里亞は一話目から『ひぐらし』の黒梨花ちゃんなんですよ。羽は入にゅう的な存在がベアトリーチェですものね。しかし『ひぐらし』とはまた違って、EP2からいきなり羽入が出てくる予定だ、と。……しかし登場人物が十八人もいて、しかも悪人らしい悪人が一人もいないのにこれだけ大きな犯罪が起こっちゃうのはすごいですよね。

竜: ゲーム盤は既に完成したので、これで何話夢中になって遊べるか、といったところですね。私としてはもう何回でも遊べるゲーム盤を作ったつもりです。

What Are Umineko's Themes?![]

『うみねこ』のテーマとは⁉

──これは『ひぐらし』を読んだときに思ったことで、今回の『うみねこ』でも感じたことなんですが、竜騎士さんって教育者の視点がありますよね。

竜: どうですかね(笑)、恥ずかしいですね……作品を通じて何かのテーマに気付いてもらえたら、すごくうれしいことですけど。『ひぐらし』は最終的なテーマが「友情」で落ち着くじゃないですか。でもね、第一話しか読んでない人にはそれは全然わからない。

──わからないですよね。じゃあ『うみねこ』のテーマは何なんでしょうか?

竜: すごくシンプルな、儒じゅ教きょうで提示される八つの功く徳どくに出てくるようなものかな。

──とすると、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌てい……これはまだ言えないんですか?

竜: まだ言えないですね。裏を返すと前回の『ひぐらし』は「友情」がテーマだったわけで、「友情」というのは究極的には全員が仲良くなるっていう意味ですよね。だから『ひぐらし』のエンディングは全員生き残るエンディングだった。でも今回はそれ以外がテーマだという・こ・と・は……全員が生き残ってエンディングを迎える保証はない! 場合によってはかなりの人間が脱落した挙あげ句くにエンディングということもあり得るかもしれない‼

──おお! まさに夏なつ妃ひさんの状態がそうですよね。彼女は自分の子供を守るために、他の四人は死んでもいいって思っちゃった。でもあれは僕、責められないなあ。あの言動は強い母親としての正義なわけで、彼女は母親としてすごく正しいことをしているだけかもしれないですよね。

竜: そこに共感してもらえるようにはしたかったんですよね。……でも、忘れないでおいてもらいたいのは、夏妃が全部の仕掛け人っていう可能性だってあるわけですからね。夏妃が自分で手紙を置いて自作自演して、外にいる仲間に生いけ贄にえのトスを送ったっていうふうにも……。

──ああー、怖いなあ。

竜: 『うみねこ』は正しょう真しん正しょう銘めい、出てくる登場人物のほぼ全員が疑わしいんですよ。

──十九人目がいるのかなあ。キャラクター表には空きがありますからね。

竜: あともう一人がいるかいないかっていうのはひとつの大きなテーマであります。そこはちょっとお楽しみ頂きたいところで、私はこれからこのチェス盤の現場において、どういう駒こまの動かし方をしたら面白いかっていうのを探っている途中なんです。それにはまだ鍵となる人が出てきていないので、言ってみればまだまだぬるいんですよ。これはちょっと相撲に似ているなと思うんですけど、相撲は同じルールに則のっとっているからといって全ての取組が面白いわけじゃないじゃないですか。名取組と言われる取組もあるけれど、すごい拍ひょう子し抜けな取組もあるわけで。だから私が現場であれだけぐるぐるぐるぐる取組を繰り返しているんですけど、まだ名取組は出てきていないんですよ。どれもルールに則った決着ではあるんだけど、エンターテインメントとしてはイマイチ。だから今、過激な取組が出てくるように私自身が期待しています。そしてそのためには、自分のなかにまだ〝怒り〟が足りない気がしているんです。

──ああ、とてもよくわかる説明ですね。となると、たとえば『ひぐらし』の場合ではどの取組が名取組だったのでしょうか?

竜: 「綿流し編」の中盤から後半はすごく好きです。そうそう、「祟たたり殺ごろし編」の叔父の撲ぼく殺さつのあたりはかなりの名取組でしたね。でも『うみねこ』ではやはり、まだまだ私の〝怒り〟が足りていませんね。

Positive "Angry" Mode[]

ポジティブな〝怒り〟モード

──今回のインタビューを、発売前と発売後に分けてよかったです。竜騎士さんは今ご自分に〝怒り〟がないって仰っていますけれど、一、二週間経てばプレイヤーの反響がちょうど返ってくるでしょう?

竜: きっと、私の想定していなかった答えに対して腹を立てるはずなんです。その腹を立てることで、気合が出れば……。「思い知らせてやる!」みたいな……そういう気持ちが浮かんでこないとダメですね。そうじゃないといい作品が出てこない。私にとって原点の感情は色々とあるけれど、一番の強力な原点は〝怒り〟の感情なんですよ。しかし〝怒り〟というのは、単にけなされればいい作品が書けるっていうのとは違います。「次の作品は見てろよ!」 というポジティブなエネルギーとでも言えるのかな。他の人の良い作品を見て、「やられたー!」と打ちのめされた後に出てくるインスピレーションが実にいいものだったりするんですよ。

──わかりますわかります! 僕は最近だと、この夏のコミケのカタログの裏側にある『ジャンプSQ.』さんの広告にすっかりやられちゃいました。講談社BOXはカタログの巻末から八ページぶち抜き、竜騎士さんの『ひぐらし』も見開き二ページ使って広告させて頂いたんですが、僕は……小こ賢ざかしかった! 八ページも使ったら目立つだろうと思って──実際に目立って良かったんですけど──そのカタログの裏表紙一面には集英社の『ジャンプSQ.』の広告がドーンと出ていて、それが「この秋、やります。ジャンプSQ.編集長茨いばら木き政まさ彦ひこ」という、この上なくシンプルで潔いさぎよいものだったんです。茨木さんは『コミックファウスト』でインタビューしたことのある方で、「カッコいい! 完璧に僕は負けた‼」と思いました。ちょっと山やま岡おか士し郎ろうと海かい原ばら雄ゆう山ざんみたいな気持ちになっちゃった(笑)。

竜: わははは(笑)。

──「貴様はたかだか巻末の八ページを取ったごときで天下を取った気になりおって! そういうのを小賢しいというのだ!」って雄山……じゃなかった茨木さんに言われた気になっちゃって……でもそういうときって、いっそ小こ気き味みいいんですよね。「おー、やったやった、俺小さい!」みたいな感じで、「次は頑張んなきゃ!」って。

竜: そうそう! 「なにくそ!」って思った瞬間からわくわくしてくるんですよね。私もまさにそういうところからパワーを溜めている。いい作品に触れて、負けないぞと〝怒り〟を溜めて。まだ今はそんな〝怒り〟を溜めてる途中ですね。

Ryukishi07 Meets CLAMP![]

竜騎士07 meets CLAMP!

──ともあれ、新人の二作目はその人の真価が問われるわけです。でも、竜騎士さんの二作目となるこの『うみねこ』は紛れもなく傑作だし、竜騎士さんのキャリアを通じた代表作になりますよ!

竜: いや、世間ではね、きっと手ぐすね引いて批評しようという人が待ち構えているって思うんですよ。果たして竜騎士は『ひぐらし』だけの一発屋か否かっていうのを、それこそ物もの見み遊ゆ山さんで一斉に見にくるんじゃないですか?

──いや、僕はここで自信を持って断言したいんですが、あと数年したら、へえー、竜騎士07って昔『ひぐらし』をやってたんだ! って感じになると思いますよ。「『ひぐらしのなく頃に』も知っているけど、そっちも竜騎士さんが書いてたの⁉」みたいなね。

竜: 『うみねこ』が長引けば、そういう人も現れてくるかもしれないですね。実は先日、CLAMPの大おお川かわ七なな瀬せ先生にお会いする機会があったんですけど、そのときに、「四年半かけて育はぐくんだ世界を捨てて、新しい世界に行くのは不安と抵抗があるんです」と正直に私の今の不安を打ち明けさせていただいたんです。大川先生はその長いキャリアでいろんな作品を作ってきて、ものすごい沢山のファンを摑みながら、毎回毎回全然違う作品を作っていらっしゃる。つまり、何度も何度も船から船へと乗り換えてるんですよね。だからこそ私は大川先生にアドバイスを頂きたかったんです。で、大川先生が仰るには、「前の彼女だと思えばいい」っていうんですよ、前の作品のことを。「前の彼女は前の彼女でいいところがあった、今度の彼女は今度の彼女でいいところがある。今の彼女と前の彼女を比べることこそが失礼。それぞれを愛しながら比べてはいけないんだよ」って。

──さすがは大川さん!

竜: 本当に勉強になりました。バイタリティがものすごくあって、非常にボキャブラリーの多彩な方で、常に話が尽きないんですよ。

──お会いするたびに常人の五倍くらいの〝元気〟を発散していらっしゃいますし、僕も大川さんは大好きですね。実は、『ひぐらしのなく頃に』を最初に大川さんにお渡ししたのって、僕なんですよ。

竜: えっ、そうなんですか?

──僕が担当させていただいた西にし尾お維い新しんさんの『×××HOLiC』のノベライズの打ち合わせをしているときに大川さんのほうから『ひぐらし』の話題が出て、「体験版はネットで落として遊んだんだけど、続きがやりたい!」って仰ったので、僕がすぐに製品版の『ひぐらし』をお届けしたんですよ。

竜: そうなんですか、それは本当にありがとうございました。いやあ、縁えんってこういう感じで繫がっていくんですね。ともあれ、大川先生はまさに熟練者、ベテランの一言です。すごい。私なんかは、正直いつまで活動できるんだろうって不安になるときが時々あるんですよ。たとえば今はこうして頑張って書いてるけど、五年後はどうなんだろう、十年後はどうなってるだろうって。砂嵐なんですよ、未来のビジョンがまだ。でも大川先生は、五年後も十年後も現役だっていうはっきりしたビジョンがあって。何度もそういう不安を乗り越えてこられてきた方なんで、一言一言に非常に感銘を受けました。

──新しいことをしようと思ったら、過去のものを摑んだままじゃ摑めない。それをいったんどこかに置いておかないといけない。竜騎士さんは、今はもう置ききっていると思いますね、『ひぐらし』を。

竜: 気に入ってもらえる作品になるといいですね、『うみねこ』は。自画自賛になっちゃうんですけど、私としては今持てる全ての力は注ぎ込んだつもりでいるんで。後は頭こうべを垂たれて評価を待つって感じですね。

(二〇〇七年八月九日 都内にて)

Interview 2 Transcript[]

──第二弾となる今回のインタビューは、『うみねこのなく頃にEP1』が発売された直後のインタビューとなります。EP1発売後、プレイヤーからは様々な反響があったと思うのですが、いかがでしたでしょうか。

竜騎士07(以下、竜):EP1が出る前と出た後では反響は確実に変わりましたね。出る前は内容についての予備情報が全くない状態だから、「どんなものなんだろう?」みたいな不安な感想が多かったように思います。ただ、出た後は純粋に内容を楽しんでいただけたようで「面おも白しろかった!」というシンプルな感想が多くなりました。

──おめでとうございます。まずは順調ですね。

竜: けど、出る前には「ちょっと心構えをしておこうぜ」みたいな不ふ思し議ぎな感想が多かったですね。「あまり高望みしないほうがいいよね」とか「『ひぐらしのなく頃に』はあくまでも偶然の産物だから、あれと同じものをいきなり期待するのは酷こくなんじゃないか?」みたいな。まるで予防接種の注射を受けるために並んでいる子どもの行列みたいな感想ばかりで(苦笑)。

──「予防注射の行列」! ハハハ、うまいなあ。そんなふうに竜騎士さんが子どもの頃の話の引き出しを数多くお持ちになっているのは、僕は作家としての何よりの才能だと思います。

竜: いえいえ。どうもね、今の若い人たちには「自分がすごく楽しみにしていたものに裏切られるとカッコ悪い」っていう風潮があるらしいんですよ。現代は空前のネット時代、記録社会で、発売前の感想も発売後の感想も全てが記録に残る時代ですよね。だから後で揚あげ足を取られてもカッコ悪くない批評を残しておこうというのが最近の風潮で、今、発売前の作品に胸をときめかせて期待する批評をネットで書いている人なんてのはごくわずかなんじゃないかな。昔の子どものほうがもっとナチュラルに、「今度新しい『ドラゴンクエスト』が出るね!」みたいな感じで楽しめちゃっていた気がしますよ。それがネット時代になってからは「あまり期待しないほうがいい」とか「どうせ駄だ作さく」、「どうせ黒歴史」なんて感想ばかりが目立つようになりましたね。今は期待をしないのが美徳なのかしら。

──そういう風潮は現実としてあると思うし、僕もよく理解できないところですね。

竜: 昔のネット黎れい明めい期きの頃の感想文のほうが、明らかに未来を期待してる感じだったんですよ。いつからか感想文っていうのは諦あきらめ文調でやるといいんだ、っていうムードが出てきたと思う。だから「読み物」という見地からすると、すごく批評がつまらないなーと思う時代になった気がしています。

──そういう人って、「切る」ためにやっているんじゃないでしょうか。たとえば読書だと、楽しむためにものを読むんじゃなくって、「もうこれ以上読まなくっていい」っていう理由を探すためにものを読むような人。そういう読み方で小説を消費する人が増えたとは僕も感じていますね。

竜: 人はどんどん老おいていく。昨日の自分より今日の自分のほうが絶対に老いているんです。そして気持ちが老いてしまうと、気力もどんどんなくなっていくわけですから、これまでとは同じ読解力を示せなくなっていくんです。昔、頭が柔軟だった頃に楽しんだ作品だけを礼らい賛さんし続ける一方で新しい作品を楽しむことができないっていうのは、純粋にその人の読解力が低下してるからなんじゃないかな。

──エンターテインメントを楽しむのにも、やっぱり才能が必要なんだと思いますね。人はものごとを脳内で再生して楽しむわけじゃないですか。でもね、その再生にも才能が必要なんだと思うんです。少なくとも向き不向きはある、絶対に。アニメだけ極端に再生能力がない人とか、小説だけは素す晴ばらしく再生能力がある人っていう感じで。

竜: 個性はありますね、ハッキリね。

──ものごとから刺激を受けて、脳のなかで快楽物質がガーッと出る。そういった脳内フィードバックが、たとえば小説でよく働く人と、働かない人とがいると思うんです。

竜: 人によるんですよね。『ひぐらし』がこれだけ多面的にメディア展開してきても、「私はずっと小説版を待っていた。ゲーム、漫まん画が、アニメとことごとく挫ざ折せつしてきたけど、やっとこれで話題の『ひぐらし』を読める!」という方も実際にいるわけで。

──具体的には講談社BOXの読者ハガキの感想からもそれは顕けん著ちょですね。もしかするとそういう方は、他メディアに比べて小説の再生能力に優れているという個性をお持ちの方なのかもしれませんね。

Catchphrases Appearing One After the Other! Ryukishi07's In Perfect Form!![]

名言続出! 竜騎士07、絶好調‼

竜: ちょっと話を戻すと、もともとは日本の風潮じゃないですか、一位は取れなくてもいいから、クラスの皆の平均値でありたいって願いを持つことは。子ども心からしてみれば、高級革の三十万円もするランドセルなんかはいらない、クラスの子と同じ合ごう皮ひの普通のランドセルがいい。そんなふうに日本にはあまり周囲から目立ち過ぎると良くないっていう風潮が昔からあって……だから作品に初めて接したとき、面白いって言おうかつまらないって言おうかをとっさに判断できない人が多いんですよ。

──初見の印象ではとくにそうですよね。

竜: 感想サイトに出入りをして、その作品が礼賛されているのか酷評されているのかを確認しないと自分の評価ができないんですよ。だからね、私が太田さんがずば抜けてすごいって思うのは、周囲の批評は関係無しに面白い面白いって率先して言ってるところですね。

──ハハハ、それはただ僕が極端に子どもなだけですよ(笑)!

竜: いやいや太田さんは、周りの人がなんと言おうとそういった雑音をことごとく撥はね退のけて動く、絶対音感みたいな「面白がる感覚」を持っているんですよ。その能力は純粋にすごいと思う。私の絶対音感はかなり弱くて、かなりおずおずとしている。コソコソッと「面白い」と呟つぶやいてみて、「俺も面白いと思うよ」という同意を他人からも得てからやっと、「良かった、俺の勘かんは正しかったんだ」と思える。臆おく病びょうなんですよ、自分の価値観を出すことに対して。だって、もしも自分が面白いと言っているものに対して、世間がつまらないの一色だったら、いじめられてしまうような感じがしてくるんです。でも、そんなふうに感じているのは私だけではなくって、異端になりたくないという心理が人から個性を奪い、その結果、自分独自の感想を失わせている。たとえば「はてなダイアリー」では、面白いダイアリーは他の人のダイアリーでも引用されますよね。引用されることが多い人はいつも独創的な説を掲げていて、ただの感想文さえもが魅力的な読み物になっている。感想文を読み物として見れば、それ自体が面白いかつまらないかという判断がまずあるべきだと思うし、すべての感想文が「右へ倣ならえ」では面白くないですよね。

──その通りですね。それぞれの感想はお互いにもっと異端であっていいんじゃないかなあ。

竜: ただ、日本には右に倣えっていう事こと勿なかれ主義があると同時に、反骨のスピリッツっていうのも歴然とあって、あるものが非常に面白いもので、世界の八十パーセントが同意しているものには挙こぞって従おうとするくせに、世界の百パーセントが肯定すると今度は逆らおうとする……不思議なベクトルがかかるんですね。

──うーん、またしても名言続出だなあ、今日も。

竜: 『ひぐらし』にも評価が定まらない時代があって──無名か、ようやく知名度が上がってきたという初期の頃──皆がまだあの作品を面白いかつまらないかわかりかねていた頃に「これはひょっとして面白いんじゃないか」という方が忽こつ然ぜんと現れて、強烈に思い入れてくださったんですよ。私はその方々は面白さに対する絶対音感をお持ちの方だと思うんです。だって『ひぐらし』は当時は誰の評価も受けていない無名の作品で、しかも鳴り物入りでもない。絵もヘタクソで、音楽もノイズだらけ。選せん択たく肢しもなかった。そんな作品を「僕は面白いと思う」と感想をブログに書いた人は、相当自分の価値観に自信がある人だと思います。私はその方の、自信があるところがなによりもすばらしいと思うんです。今、自信を持って感想を書ける方はなかなかいないですよね。

──ええ、何でそうなっちゃうんでしょう?

竜: ネット時代が逆説的に生み出した「右へ倣え」主義の悪あく癖へきじゃないかと思うんですよ。記録が残っちゃうから、恥はずかしい記録も延々と残っちゃう。「あの人今はベタ褒ぼめしてるけど、昔はひどいこと言ったんだぜ」みたいに。あるいは逆もしかりで、「あんなによいしょしてたのに発売後は何も言わなくなったな」とか。

──ハハハ。竜騎士さんにこの調子で数時間語っていただければ一冊の新書にまとまりそうですね。「ネット時代の『右へ倣え』主義」みたいなタイトルで……でも、たしかに昔の子どもは「ドラクエ」の面白さを自分以外で計る機会はクラスの隣の奴の評価を訊くぐらいしかなかったですものね。右に倣いようがない。

竜: 漫画本があって「これ面白いんだぜ」って言ってみても、その頃の子どもは自分がつまらないと思えば「え~? つまんねーよ!」って残酷に言っていたじゃないですか、空気を読まずに。あ、そうそうそれ! 空気だ!

──空気。ネット時代の空気はすごく濃そうだなあ。

竜: 子どもは空気を読めないと言うけれど、あれこそ面白さの絶対音感だったんですよ。自分が好きか嫌いかを周りに流されないで判断する。今の子どもって空気を読んでしまうから「僕はつまらないけど、皆が面白いって言うから僕も面白いって言っておこう……」みたいなムードができているということですね。

──僕は空気の読めない子なのか……(苦笑)。

竜: 美術の世界には「墓場期」という言葉があるんです。子どもは本来は誰もがすごく独創的な感性を持っていて、ただし技術が無いので乱雑な絵なんだけれども、美術的には優れている絵を描くそうなんですよ。ところが彼らの大部分は小学校低学年から中学年に上がった頃に、余計な知識や技術を覚えてきてしまう。「人」はこう描かなければならない、「目」はこうでなければ、「太陽」はこういう記号だから……、っていうのを覚えたその瞬間に……何かが失われてしまう。これを「墓場期」と言うんです。児童美術に関わる方々は、幼稚園生の絵のほうがそれ以降の絵に比べて美術的価値が高い、独創性が高い、と仰おっしゃる。つまり海を見たら真っ先に青で描くような連中は、全く美術がわかってないって言うんですよ。小さな子どもは、海を見たときに真っ先に緑のクレヨンを取るんです。でも、「墓場期」以降の子どもは違っていて、「海は青い」という余計な知識が頭に入ってしまっているから、目の前に緑の東京湾が広がっているのに青いクレヨンを取ってしまうんです。

──自分のフレームより他人のフレームを優先させてしまうと、それはもう自分の世界ではなくなってしまうんですね。

竜: 私たち大人が「信号が青くなったら横断歩道を渡るんだよ」と言うとき、子どもは空気を読まずに「えー緑だよ、青じゃないよ!」って言うじゃないですか。その感性を大人になっても捨てなかった人は、私は芸術的なセンスがある人だと思うんです。

An "Interesting" Digestion![]

〝面白い〟を咀嚼する!

──たとえば竜騎士さんの『ひぐらし』だって、個々人の中で全部違う「面白さ」がある。ある作品が面白かったかどうかについて他人に意見を求めても、本当のところはどこまでいってもわからないですよね。自分で感じなきゃ。

竜: 面白いって言葉ってね、すごく包ほう括かつ的すぎて、何がどう面白いかって具体的にはなかなか言い表しようがないですもんね。

──僕は「これはダメだ受け付けない!」という人と「これはすごい!」という人がぴったり半々に分かれるものが真にすごい作品だと思っています。

竜: そう、価値観は人それぞれ。だから「お前はそこしか見てないのか」とか、「お前の価値基準はここで決まるのか」みたいな、価値観に対する批判や議論は当然あっていいんです。たとえば、「俺は『うみねこ』は萌もえ的要素がなかったから良かったと思う。萌え系は嫌いだ!」っていう人にとってはそれは立派な評価基準だし、萌えが大好きな人にとっては、「『うみねこ』は全然可か愛わいい子が出てこない。だから面白くない!」っていうのもアリ。

──「ツンデレはもっと出てこないのか!」みたいな感想だってあっていいんですね(笑)。

竜: そうそう。だからときには意見を言い合った人どうしで喧けん嘩かもあると思うんですよ。「お前、そこしか見てないのか!」って。でも、それが二人が誰にも左右されずに言った意見ならば、お互いに素晴らしい意見だと私は思うんですよ。だから私は作品を発表するたびに皆にネット上で議論を楽しんでほしいし、議論を闘わせながら自分なりの価値観を見つけてほしいと思っているんです。ところがね、発売前の感想はほとんどが不安論、身構え論、様子見論。先程も言ったように注射待ちをしている子どもの列みたいなもので、まず先に落胆して、心の負担を減らしておこうっていう考えばっかりなんですよ。私は、正直、発売前の感想を見ているとがっかりすることが多いんです。何でそんなに期待していないものを買うんだろうって、不思議に思ってしょうがない。私は未発売の作品でマークしている作品があったら、指折り発売日を楽しみに待っていますよ。「今度はこうに違いない」とか「今度は頑張るぞ」とか、そういう感じで。

──僕も断然そっち派かな。そういうものがたくさんあればあるだけ、毎日楽しく生きていけちゃいそうだし。

竜: でも、そういうのは少数派ですよ。たいていは「当分は様子見です」とか「一応予約はしたけど積んでおくよ」とか、「買いはしたけどたぶん当分やらない」とか。今は〝all or nothing〟の時代なんです。一度否定側に傾かたむいてしまうと、一斉に皆否定的に論じる。逆に皆が肯定に傾くと一斉に肯定的に論じる。ところがその評価が磐ばん石じゃくになってしまうと、今度は反骨精神としての逆論が現れる。

──それって、投資家のジョージ・ソロスが唱えている再帰性理論の考えとすごく似ていますね。

竜: ファミリーコンピュータ時代って、おもちゃが少なかったですよね。だから、その少ないおもちゃを遊び倒して、独自の面白い遊び方を見つける達人が多かったような気がする。

──面白がる技術ですね。そうだなあ、たとえばあの任にん天てん堂どうの『エキサイトバイク』は今見るとかなりしょぼいゲームなんだけど、当時は、超夢中でしたもんね。コースをとことんまで逆走してレースしてみたりとか(笑)、変な遊び方を色々開発してましたよね。

竜: ゲームに限らないんですよ。どんなおもちゃでも、銀玉鉄砲でも何でも。最初は普通に遊んで、壊れてきたら壊れたなりの遊び方をして、分解して遊んで、最後はぐちゃぐちゃのわけがわからない物体になってね。昔の子のほうが自分で遊び方を探して、徹底的に吟ぎん味みして……遊びの達人だったんですよ。嚙かみ締めたらもっと味が出るかもよ、みたいな考え方もあったりして。でも今の子は、最初の一口が美味おいしくないと、ぶえーって出しちゃう。で、作る側の人間が「今は一口目から美味しくないとだめなのかな……」ってことになってくると、作品の幅をものすごく狭めてしまう。これはコンテンツ飽食時代の弊へい害がいだと思っているんですよ。

──週刊漫画の世界のある部分は露ろ骨こつにそうなっているんじゃないでしょうか。人気がなくなると打ち切り。だから毎週、無理矢理にでも山を作らないといけない。もちろん、だからこその傑作も多々あるわけだからその状況を一概に批判はできないわけですが。僕は昔、大おお塚つか英えい志じさんとジョージ朝あさ倉くらさんが『ハッピーエンド』っていう三百ページ描き下ろしの漫画に挑戦したときに担当させていただいたことがあって、あれはいい経験でしたよ。連載漫画ではおそらく不可能な、描き下ろし漫画ならではの緩かん急きゅうのある物語の展開が達成できましたから。

竜: あの『ハリー・ポッター』だって面白い事件が起きるのは二巻、三巻、四巻からですよ。一巻目はあの不思議な魔法世界の説明に終始してしまうわけで。このままだと私たち作り手側は、摑つかみのためには決まって倒置法で物語を書き出さないといけないことになってしまいます(苦笑)。

──うーん、それは編集者的に言ってもつまらないなあ。

竜: 物書きの私の側が言うと、非常に多くの読者の方には批判的に捉えられると思うんですけど、今の若い方には物語の咀そ嚼しゃく力りょくがなくなったように感じます。昔は玄米食で、顎あごが鍛きたえられて、何でもバリバリ食べて、しかも嚙み応えまでを楽しんでいて、お米に甘味を感じたような人たちがものを読んでいたんですよ。今の人は軟らかいものしか食べてなくって、顎がどんどん弱まってきちゃって、咀嚼力がなくなってきちゃった気がする。となると、物書き側からすると、最初の五分でクライマックスを出すしかないなとか、いきなり飛んだり跳ねたりドッカンドッカン爆発したり、ずっと手に汗握るシーンの連発じゃなきゃいけないとか……それは作品の傾向をものすごく狭めてしまうように思えるんです。本来、物語っていうのは無限の方法があっていいはず。だからいきなりクライマックスっていう手法だって、無限にある方法のうちのひとつのやり方でしかないわけなのに、そういうやり方以外は全て単調で「面白くない」と言い切ってしまうような傾向があるのはどうだろう、と思います。こんなこと言っちゃうと、「お前はそんなこと言えるほどの大作家かよ!」って批判を受けちゃうんで普段はあんまりこういうこと言わないんですけど。いや、何だか太田さんに持ち上げられて思わず口にしてしまいました(笑)。ただ、読み手に咀嚼力がもっとついていけば、書き手のほうももっともっと色んな面白い物語の幅を打ち出せるはずなんですよ。

──『ファウスト』の読者は、その咀嚼力をつけようとしている人ばかりだと思いますから大だい丈じょう夫ぶ! しかし、ネット社会はそういった書き手にとっては危機的な状況をどんどん加速させているのかもしれないですね。

竜: そんな今の状況にあわせて書けば書くほど、逆に咀嚼力のある人にとっては「竜騎士は物語が厚ぼったすぎる、説明がしつこすぎる」って言われてしまう気もして。どっちが正しいんだろう? と思って私はものすごく悩みます。

──最終的には、バランス感覚の問題になるんでしょうね。

竜: やはり、私は私の竜騎士テイストを生かしていくしかないので、竜騎士の嚙み応えはこれです、というのを作ったらそれを貫くのが一番いいんでしょうね。こないだは玄米だったのがね、次には流動食になってしまったら、玄米を期待していた人たちはがっかりしてしまいますし。

The Scenery Viewed From Intellectual Stretches[]

知的な背伸びから視える風景

──竜騎士さんの現代読者論、受け手論、すごく面白かったです。僕たちはもちろん面白いゲームをいつも求めてるんだけど、より面白くゲームを〝楽しんでやろう〟っていう心構えが受け手であるこちら側にもないと、ジャンルやメディアにさらなる発展はないのかもしれませんね。

竜: 楽しむ側に、より遊びつくしてやろうっていう貪どん欲よくな心構えがあるほうが、作る側としても気合が入りますよ。

──そうなると、いいフィードバック効果が働きまくりますよね。

竜: ただ、今回の私の『うみねこ』の場合では、律りち儀ぎに遊び方を指し示しているんですね。一見、挑発的にプレイヤーに「挑んでみるがいい!」なんて煽あおっているけれど、実はそれは「こう遊んでご覧になってください」ってすごく丁てい寧ねいに説明しているだけのことなんです。私にできるのは私なりに一生懸命に嚙み応えのある作品を作っていくことと同時に、「もっと嚙んでいいんだよ」「ほら、尻しっ尾ぽも食べられるんだよ」ということを示すことですね。「ミントってガムじゃないんだよ、葉っぱなんだよ」ってことを説明したいんです。

──竜騎士さんはもはや同人ノベルゲーム界の横綱的な存在なんだから、もっともっと受け手側に咀嚼力をつけるような危険な作品を提示していってほしいな。『うみねこ』の最後に待ち受けるティー・パーティー、二段目のティー・パーティーはまさにそういう感じの大仕掛けでしたよね。

竜: あれは一年に二度という連載形式を前提にした演出ですね。私からの「お前らこう遊んでみろ、次の作品で待ってるぞ!」っていう強烈なアピールです。興奮する終わり方というか、皆が議論せずにはいられなくなるような終わり方。そういう終わり方にすごくしたかったんですね。今回のラストは絶叫で終わらせたいという強い意志があって、ああいう終わり方にしたんです。

──それがまさに嚙み応えの部分ですよね。

竜: そう、挑発です。面白いもので、「美味しいよ」と声こわ高だかに言われるとすごく美味しいことを期待して、実際には美味しく感じないことがままあるけど、「これは君には無理だよ。これは美味しいけど、わかる人にしかわからないよ」なんて高みに立って言われるとね、やけくそになって「いや、わかるよ!」と言いたくなる(笑)。

──その感覚、重要ですよね。知的な背伸びとでもいうべき感覚……。

竜: 食べ物だと、くさやの干ひ物ものにはそういう魔法の効果があると思いますよ。くさやの干物って最初は神がかっておいしいとは思わないんですよね。ところが「あの臭くさい匂いが人を選ぶ」なんて言われちゃうと、「じゃあ食べてみようか⁉」なんて。挑発されてるんですよね(笑)。まさにお化け屋敷とか、絶叫系のマシンと同じなんですよ。「心臓の悪い方お断り」、なんて煽られると、「じゃあ乗ってみようか⁉」っていう気になる。

──わかるなあ。

竜: 世間では、「竜騎士はすごく挑発してくる、煽ってやがる、なめてやがる、ミステリーの『ミ』の字も知らないくせに挑発してやがる」なんて随ずい分ぶんひどいことも言われていますし、取材を受けるたびに「すごい自信ですねー」とか「煽りますね!」なんて言われるんですけど、正直全く逆なんですよ。私はすっごく親切に、「こうやって遊ぶんですよ」って丁寧に教えてあげてるだけなんですよ。

──いや、さすがは竜騎士さんです。だって、それこそがいちばんの挑発ですよ‼

Delusion Power is Creativity![]

妄想力こそクリエイティブ!

竜: 『ひぐらし』の世界では、奇跡は全員が信じると起こる、一人でも信じなかったら起きないっていうルールがあったじゃないですか。そのルールは今回の『うみねこ』の世界にもやや継承されているところがあって、全員が信じなければ奇跡は起きない。ただ、『ひぐらし』の奇跡っていうのはいい意味での奇跡だったんですけど、どうも今回はあまりいい意味ばかりではないようですよ。今度の世界ではどうも、全員が信じたら負けらしい、みたいな。何人を疑うたがえるかが勝負らしい、みたいな。そういう世界観で作品を作っています。勘のいい方は既に、この『うみねこ』の物語は犯人が誰か探るものじゃないんだなと気付いていますね。初めてやる方は、犯人は誰だ? って、死体の入れ替わりトリックや密室トリックを推理し始めていて……それももちろん正しい楽しみ方なんですけど、本当に勘のいい方は「犯人探し=真相」ではない、と既に気付いておられる。……そういう意味では『ひぐらし』を通過したプレイヤーさんは咀嚼力が付きましたね。「竜騎士は何でもアリだから、狭い考え方では負ける」、という心構えがある。

──それはね、竜騎士さんが足かけ五年にわたって強烈なトレーニングの号令をかけてきた結果ですよ、あたかもビリー隊長のように(笑)。

竜: ハハハ。『うみねこ』をすごくよく楽しんでくれている古こ参さんのファンの方々は、ネットの日記などで独創的な説を挙げられていますね。本当に『ひぐらし』を古くから支持してくれている古参の方々は、答えが出れば出るほど妄想の余地がなくなる寂さみしさを理解しているんですよ。いちばん自由に妄想できるのはね、まだ話が若い最初のうちだけなんですよ。

──そういう意味で言うと、これからEP3くらいまでは色々な推理が飛び交って、十分以上に『うみねこ』を楽しめるわけですね。

竜: 「こんなに情報が少ないんじゃ何も推理なんてできないよー」っていう人は、新しい方だなって感じがする。逆に、「こんな何でもアリの世界だからこそ面白い!」っていう人が今回は圧倒的に増えたんです。それが私はすごく嬉うれしい。なんだかんだ批判をいっぱい受けはしましたけど、『ひぐらし』の仕事は無駄ではなかった。

──それはまさにビリー隊長のスピリットですよ! 竜騎士さんは読者の咀嚼力の基礎パラメーターを上げたんですよ、五年をかけて。だからこそ、今後はたとえば、あの六ろっ軒けん島じまの屋敷に集った人々の世代間格差を飛び越えるようなエピソードにあふれた小説を、それこそ『ファウスト』でじっくり書いていただきたいんですよ。彼らはお互いのことをとてもよく考えているつもりだし、実際に考えてはいるんだけど、絶望的に壁があるじゃないですか。大人たちは「子どもにはこういうことは聞かせられない」って口では言っているんだけど、実は、本当に子どもには聞かせられないような駄だ目めな話しかしてないわけですよ、あの大人連中は(笑)。話の内容に本当に一点の非もないのであれば、別に子どもの目の前で話したっていいじゃないですか……こういうことも、大人になったからわかることなんですけど。

竜: そういった世代間格差のエピソードは、登場キャラクターのメイン年齢層を少し上げたことで書けるようになりましたね。『ひぐらし』は子ども世界の話。『うみねこ』は大人世界の話。少しはうまくできたかな。

Here They Are! The "School Theory"!![]

登場! 〝学校理論〟‼

──EP1が出て、読者の反応も届いてきて、読者の頭の中でも『うみねこ』の世界が動き出していて……もちろん『ひぐらし』の世界も講談社BOXを中心に続いているわけですけど、やっぱり以前とは印象が違うようになりました?

竜: 『ひぐらし』が、ですか? ……うーん、ないものねだりになりますね、こればっかりは。『ひぐらし』の世界には、子どもどうしが戯たわむれてドタバタしている輝きみたいなものがありましたね。『うみねこ』にも子どもたちはいるけれど、年齢が既に『ひぐらし』の子たちより高いので落ち着いていますよね。

──それでも『うみねこ』にはあの世界ならではの輝きがあるじゃないですか。知的な背伸びをするようなセンスにぞくぞくしている人には『うみねこ』のほうが断トツに面白いと思うんですよ。

竜: 私も前の作品にあった良いところを懐かしがりすぎるのはあんまり良いことじゃないかなって感じています。たとえば転校してきて、「前の学校が良かった良かった」ってばかり言ってたら、いつまで経っても新しい学校に馴な染じめないじゃないですか。それに、各キャラクターの動きも年季が違うわけです。『うみねこ』のキャラクターはまだ半年しか動いていないんで、まだどうしてもぎこちないところがありますけど、『ひぐらし』のキャラクターは、もう五年も動いている。よく煮込まれているし、ファンの方が育て上げてきてくれたキャラクター観っていうのも非常によく煮えている。『うみねこ』のキャラクターはまだまだ具を入れたばっかりで、芯しんが残っているから、今単純に『うみねこ』のキャラクターと『ひぐらし』のキャラクターを比べてしまうと、どうしても『ひぐらし』のほうに魅力があるように見えてしまうっていうのは仕方がないことなのかな。

──うーん、竜騎士さんは、本当に稀け有うな実験をしていますね。キャラクターを読者と一緒になって作っていくことを、これだけ意識的にやってのけたのって、竜騎士さんが初めてじゃないですかね。

竜: 『ひぐらし』のキャラクターのほうが高い評価を受けてしまっているのは仕方のないことなんです。私はこれから、これまでの五年間の経験を踏まえて『うみねこ』のキャラクターに新しい魅力を与えられるように頑張ればいいだけなんです。キャラクターたちを学生として捉えて、私はクラスの担任だと思えばいい。

──なるほど。

竜: 小学校一年生から六年生まで一緒になって頑張ってきて、生徒は皆立りっ派ぱになって卒業していった。で、担任がスライドして、また一年生の担任に戻ってくるじゃないですか。そのとき入ってきた新入生の一年生に、それまでの六年生と同じ規律を期待することは、これは酷な話ですよ。

──面白い! それはすごく正しいと思う!

竜: それだったらまた、この一年生の子たちならではの魅力を伸ばしていけばいい。卒業間近の生徒たちは皆、優秀かもしれないけど、新米が入ってくればそれはぎこちなくて当然。だからっていってお前らはクズだってことにはならない。『うみねこ』をやって、『ひぐらし』のことを改めて見直せるようになったというのは少なからずありますね。

──うーん、なんだか感動してしまった。竜騎士さん、『うみねこ』を作って本当に良かったですね。クリエイターとしてすごくいい方向に成長なさっている感じがひしひしと伝わってきます。新しいものをやったからこそ見えてくる景色があるんですね。

竜: 『うみねこ』はあと何年かかるかはまだわからないですけども、『ひぐらし』とはまた違う魅力を宿らせていくべきだという心構えになっています。おかげさまでEP1ではインパクトのあるいいものを書けた気でいるんですけど……『ひぐらし』の第七話や第八話のノリと比べたらテンションはやっぱり劣ると思う。「物語が終わるぞ!」というテンションと、『うみねこ』のEP1の勢いを比べたら、勝てるわけがないと思うんですが、人によってはどうしても比べたくなる。「『うみねこ』には『ひぐらし』の神こう々ごうしさがない、『ひぐらし』のテンションにはやっぱり劣る」って言われちゃうと寂しくはあるけど、これは仕方ない。こないだ卒業した六年生のほうが良かったって言われちゃうと、そりゃあ六年生だもんね、と思うしかない。それをね、自分で悲観しちゃわないことが大事なんですよ。作品とはそういうものだと思うんです。先生である私は、すでに一回、一年生を六年生まで見守っていて、その過程で得たスキルがある。だからいずれ、今の一年生が六年生になったら、そのほうが前の六年生よりすばらしくなる可能性はありますよね。

──うーん、圧倒されますね。竜騎士さんのそういう達観みたいなものはどこから来たものなんでしょうか。

竜: 先だってもお話しした、CLAMPの大川七瀬先生と対談したことが大きいですね。私は大川先生に「作品とは彼女のようなものだ」と教えられたんです。「前の作品は前の彼女だと思え」と。「前の彼女と今の彼女を比べて、今の彼女に前の彼女の良かったところを言ったら絶対に怒られるでしょ」と。「前の彼女にもいいところがあった。それと同じように今回の彼女にもいいところがあるんだよ」っていう。「でも今回の彼女に足りないところがあれば、それを一緒に伸ばしていこう。そんなふうに毎回毎回別れと出会いを繰り返していくんだよ」って、そんな旨むねのお話を賜たまわったんです。で、その大川先生のお話を私なりに咀嚼して構築したのが学校理論です。

──学校理論。いやー、そのネーミング、めっちゃいいですよ!

竜: こないだの六年生たちは卒業していった。それでまた新しい子たちが入ってきた。この子たちもまた、負けず劣らず個性的な子たちだなと。攻撃的な子たちが入ってきたなと。この子たちが六年生になったとき、いったいどんなふうに卒業していくのかな、と。そこでPTAの会長さんから、こないだの六年生は列をしっかり守ったのに、今度の一年生は言っても全然座らない、と怒られても、いや彼らはまだ一年生ですから、と。

──あはは(笑)。

竜: そういうものだとわかった瞬間に、『うみねこ』を『ひぐらし』と比べて貶けなしている方たちが全く気にならなくなった。

──そりゃそうだ。

竜: 逆に、『ひぐらし』より『うみねこ』最高! なんて言われたらね。え、六年生が一年生に負けたのか! って思って却かえってショックですよ。私たち作家って往々にして、ひとつの世界が成功してしまうとね、お風ふ呂ろと同じでね、出たくなくなっちゃうんですよね。新しい世界に行くリスクを負うくらいなら、この世界にいつまでもいたいと思ってしまう。だけど、最近それは間違いじゃないかなあと思ってきたんですよ。だって、本当の心の奥の奥では、『ひぐらし』ばっかりじゃなくって、他の話も書きたいなと思っていたんですよ。もっと強烈にグロい話を書きたい、もっと大人が出てきて、もっと陰いん鬱うつな話を書きたいってずっと思っていたわけなんですよ。そのフラストレーションが『うみねこ』になっていい形で現れた。だからたとえ居心地が良くても、ずっとそこにいたら空気は淀よどんじゃう。だから今はね、『ひぐらし』のほうが良かった、『うみねこ』はダメです、という言葉を聞いても気にならなくなった。

──うん、僕もこれからはそう思うことにしますよ、新しいことをやるときには。

竜: 逆に今度のものは素晴らしい、こないだのものはクズみたいですなんて言われたらね、こないだまでの俺の努力は何なんだろうって思うのかもしれないですけど(笑)。

──ハハハッ。

竜: つまりは、『ひぐらし』という作品が自分の元から卒業していったっていう話なんですよ。もちろん、たまには同窓会もやりたいと思うだろうしね。あの子たちはそろそろ受験だな、元気かなって手紙も送りたくなるだろうしね。そういう気持ちなんですよ。で、今は、竜騎士学校に新しく『うみねこ』が入ってきたっていう、そういう気持ちでいるわけですね。

Veteran Players![]

百戦錬磨のプレイヤー!

──もうひとつ、竜騎士さんに伺うかがいたいことがあるんです。『うみねこ』発売前インタビューでは、EP2はこんなふうにしたいという感じで色々とお話しして下さったんですが、発売後の反応を見て、やっぱりそれは変えたぜ、というようなところはありますか?

竜: ありますよ。先程言ったように、『うみねこ』の作品はかなり丁寧に作っているんです。こう遊んでください、ここを疑うんですよ、って懇こん切せつ丁寧にチュートリアルしている。でも、太田さんはその裏側を見て、挑発してますよね、って言う。お前らはここまで教えなきゃできねーんだろ、っていう挑戦があるって仰った。だけどね、今回のEP1の感想がネットに上がってきたのを見ていたらですね、なかなかガッツがあるんです! 古参のファンの方たちを中心にね、今度は騙だまされないぞ! っていう気持ちのいい、いい心構えになっている。

──あはは。まさにスパルタ式だ!

竜: 闇やみを恐れずにね、新説を考えつづけている。後から考えたら、きっと恥ずかしいことを書いてるんだろうなと思いつつも、勇気を振り絞しぼって推理をいっぱい書くようになってきた。伊達だてに皆、潜くぐり抜けてないなって気がしてきたんです。

──『ひぐらし』の闇をね。ふふふっ。

竜: EP1の時点で物語全体の構造として、ミステリーでは説明できない要素が増えてきて、難易度が上がってきている。ミステリーとしての見方だけでは推理不能になってきている。その進行速度を、もっとガッと上げようと思ってるんですよ。だから実はね、EP3ぐらいでやるはずだったギミックをEP2でやっちゃおうと思っています。かなりどぎつく。お前らがそこまでガッツリついて来るなら、俺もレベルを上げざるを得ない。いや、ここまでガッツリついてこられるとは思わなかった、お前ら大したもんだと。なら! 今のお前らなら、これくらいは軽くいけるだろうと。

──うんうん、いいですねえ。

竜: EP2はすごくえげつのない話を考えているんだけど、そのえげつのない話はね、他でもない、EP1についてきたプレイヤーの皆さんが作ったようなもの。本当はね、もう一回、ぬるめな王道の話でいこうと思ったんですよ。もう一回その王道の話をいって、三回目でひっくり返していこうかなと。ただあまりに皆さんが優秀なんでね。私もわくわくしてきちゃった。もうお前らに茶番は抜きだ。チュートリアルは終わりだ(笑)!

──(笑)!

竜: もうラジオ体操やってる暇ひまはねーぞ、と(笑)。

──第二を繰り返す暇はねーぞ、と(笑)。

竜: お前らには実戦だ! お前らにはこれ以上玉遊びは必要ねえ、と。いきなり叩き込んでやる! 生き残った奴だけがいい兵隊だ!

──ハハハハッ。おもしろくなってきましたねえ。

竜: それで次の話を一気にレベル上げて、かなり濃い口の話にするつもりです。鍋の中に野菜を放り込んで、串くしを刺して、串が通せたらそれをエピソードにするんですけど、その中の具、かなりどぎついものを今度はドンドコ入れる。前は食べやすいジャガイモだったけれど、デンジャラスな具をガンガン入れる。

──かぼちゃも入れて、スイカも入れろ、みたいな。

竜: 食えねえだろうなっていう、怪しいものばかりを選んでどんどん入れているんですよ。でも、それでもついてきてくれる読者になっていると思うんですよ。

──ああ、つまり『ひぐらし』という作品は無事卒業していったわけだけれど、読者は六年生なんですね。

竜: そう、六年生のまま。百戦錬磨なんですね。

──それが改めてわかったっていうことですね。EP1の発売後に。

竜: 読者は六年を経て卒業した、叩き上げの新卒なんですよ。だから、手強い。叩き上げのプレイヤーたちっていうのはすごい柔軟な発想をする。議論を求めてネットを彷徨さまよっている人たちも、かなり高度な、柔軟な情報を次々キャッチしている。ネット時代の恐ろしさですね。誰か一人が持った発想を全員が共有しちゃうんですよ。いろんな角度の天才がいて、自分でアイディアは思いつかないけれど、ある天才が考えていたアイディアを抽出して自分なりの理論を構築するとかね。だから今回は手強い! 答えだけを見ていると、全部合っている人はいないんだけども、パーツパーツは合っていたりする。この人のこれは合ってる、この人のこれは合ってる、って全部をごちゃごちゃって合わせたら、だいぶ輪りん郭かくに近い形ができて……。

──うわあー。

竜: ネット全体を一人の人格と仮定したならば、いきなり正解しているかもしれない。もちろん山ほどの間違いの中にある正解なんですけれど。『うみねこ』の中でも私は語ってるんですよ──推理というのは正しいことを見つけることじゃない。的外れでもいいからいろんなアイディアを出す。だから作品の中で、面で襲おそい掛かれって言っているんです。矢ですね、矢。矢は一人にかけるものじゃなくて、合戦なんかの矢だと一斉にワアーッて放つものですよね。敵に雨を降りかける。降りかからせるように矢を放つじゃないですか。推理っていうのは……、

──一発必中じゃないんだ、と。

竜: そう! もうがむしゃらにドワーッて行って、どれか一つ当ててやる!っていうそういう心意気でかかるもんだって私はあそこで言いたかったんですよ。しかし、ミステリーの推理はウィリアム・テルみたいなものなんですよ。頭の上に林りん檎ごが載っていて、それを打ちぬければ解決。

──アクロバティックにね、カーブしながら打てとか、魅みせ方も必要ですね。

竜: そうなんですよ。ところが私の林檎はどうやら闇の中にあって、見えないらしい。

──林檎かどうかもわからないんじゃないですか(笑)?

竜: だからウィリアム・テルな人たちは、見えなきゃ打てないですよ、って皆言っちゃってるんですよ。私は、一本で当たらなければ、矢を何本も使ってブワーッと襲い掛かるように放てばいいと思うんです。何か今当たった音が聞こえたら、たぶんこのへんだろう、と見当をつけることができる。

──なるほどなるほど。

竜: 今回の作品の真相のひとつというのは……今言っていいのかわからないけれど……犯人が誰かを探ることじゃない。大事なのは、犯人にとって狙いは何だろうと考えること。妙なことが二日間で起こったわけだけど、犯人は何が言いたかったのか、犯人にとってのグッドエンディングって何なのか、それを探る必要がある。勘のいい方では既に、登場しなかった戦人ばとらの妹が犯人じゃないかって言う人がいて。あいつ以外は全員死んだから遺産は全部島に来なかった六歳の妹のものだと。だから奴、もしくは奴の後見人が真犯人だ、と。

──それ、おもしろいなあ。

竜: なかなかいい発想をするなと思いました。真ま里り亞あが仕組んでるんじゃないかっていう人もいるし、『ひぐらし』で羽は入にゅうというファンタジー要素を出してるので、そういう存在を想定している人もいる。……すごいね、柔軟になってきた。

──手強いですね。

竜: 『ひぐらし』を潜り抜けてきた、『ひぐらし』従軍徽き章しょうを持っているような兵士たちはね、なかなか手強い(笑)。新兵たちは、敵が現れたら伏せろ、まず警告をしてから撃うて、みたいな教科書どおりの訓練しか受けてないんだけど。『ひぐらし』を潜り抜けた連中はね、戦争はマニュアルどおりじゃねえんだ、不意打ちもあれば奇襲もある、常に銃を手放すな、いつだって襲撃はある、宿営地にいるから攻撃はないなんて思うな!

──(爆笑)。

竜: すごい皆ベテラン兵士のイメージなの。全員、ランボーみたいな状態になっちゃって。

──いないところにこそ敵はいるんだ! みたいな。

竜: 戦争映画だと、誰も敵がいないって思っても、物陰を慎しん重ちょうに歩いていますよね。

──木を見たら人と思え、なんて言うもんね。

竜: 常にきょろきょろっと慎重に目を光らせて、「大丈夫、安全」「クリアクリア」なんて言って行動している。的外れな方向を照らしてるんだけれども、なんて慎重な奴らなんだ、全ての方向を照らしてやがる、と思うわけです。そういう意味で今回の作品にはレベルの高い読み手が相当入りこんでる。『ひぐらし』の頃って、そういう方たちは本当に一人か二人しかいなかった。発想がここまで柔軟な方はほとんどいなかった。ところが『ひぐらし』が終わってこっちの手の内が見えきったら、竜騎士はそういう奇襲が得意だぞ、敵は正面から挨あい拶さつして襲ってくるんじゃないぞっていうのが浸透したんですね。

──なるほどね。

竜: 手強い。『ひぐらし』従軍徽章を持ってる人、古参兵がとくに手強い!なかなかに奇抜なアイディアで、弾幕が厚い。中にはね、真相に一部かすっているのがありますよ。でもね、真相側、つまり私自身が当たったことを気づかれないために痛みをこらえて外れたふりをしている。

──スリリングだ!

竜: 作者としては日記に迂う闊かつにね、「なかなか今回いい推理があります」なんて書いちゃうとね、古参のファンの方たちは「俺たちの説の中に正解があるらしい」って一気に暴れだしちゃうからね(笑)。本当に今回のファンはね、当たってるか外れてるかはともかく着眼がいいですよ。

──そうですね、僕も皆さんの推理を読んでいてすごく面白かったもん。

竜: 古参兵に敬意を表するからこそ、EP2のレベルを一気にガーッと上げて、新兵は大丈夫かなって不安になるぐらいにまで行きたい。とはいっても、ネット社会だから大丈夫だと思うんだ。新兵たちは、新兵なんだけどもネットを駆使することによって古参兵のしたたかさを身につけるような時代になった。つまり古参兵から、敵はいつ襲ってくるかわからないぞ、みたいな、奇襲の兆きざしとかを習っているわけなんで。初の実戦ではあっても知識だけは十分に持ってるわけなんでね。なかなかにね、本当に今回は、手強い。敵が。だからEP2では一気にレベルを上げていきたいです。

──ありがとうございます。『うみねこ』が続く何年間かは竜騎士さんも僕たちも楽しい毎日になりそうですよね!

(二〇〇七年八月 都内にて)

Interview 3 Transcript[]

──今回の『ファウスト Vol.7』では年を越えて三本目のインタビューとなります。『うみねこのなく頃に』は二〇〇七年の年末にEP2がリリースされましたが、その反響はいかがですか?

竜騎士07(以下、竜):かなりの侃かん々かん諤がく々がくがありましたね。『ひぐらしのなく頃に』では、第四話の「暇ひま潰つぶし編」から話題になって、第五話「目明し編」で、世間的に言うところのブレイクとなったわけで、第一話、二話の頃には全く話題に上っていなかったんですよ。それに対して今回の『うみねこ』では、EP2までしか出ていないにもかかわらず、すでにこんなにも盛大な注目を浴びているというのは、大変うれしく、ありがたいことですね。

──竜騎士さんを取り巻く世界や環境も、ここ半年くらいでがらりと変わった気がいたします。ひとつは、竜騎士さんの作家としての立ち位置が徐々に決まってきた印象がありますよね。「ひぐらしの~」という作品先行で呼ばれるのではなくて、「竜騎士07の~」と言われるようになってきたじゃないですか。

竜: 『うみねこ』が始まる前には、「竜騎士07は一発屋か否いなか」なんてことが議論されていてプレッシャーもありましたけど、CLAMPの大おお川かわ七なな瀬せ先生のおかげで、新しい作品に対して、心機一転──勇気を持って取り組むことができたのが大きかったですね。それまではついつい『ひぐらし』のことを頭に置いて、比べられたらどうだろう、とか、どうやって差別化をはかろうか、なんて考えてしまっていたんですけど、大川先生の助言に感銘を受けて、ふんぎりがつきました。

──それから、これは手て前まえ味み噌そになってもしまうんですが、講談社BOXで出させて頂いた小説版『ひぐらしのなく頃に』も作家としての竜騎士さんを新たに印象付けるのに寄与したと思います。従来の『ひぐらし』ファンのみならず一般の方にもきちんと届いている手ごたえがありますよ。

竜: これまでのファンの方とはまた別に、大勢の方に読んで頂けたのは嬉うれしいですね。

──『うみねこ』インタビューの初回に、「これは間違いなく竜騎士さんの代表作になる」と僭せん越えつにも予言させて頂いたんですが、僕の予想通りになってきたと感じていますよ。そしてこの冬、EP2を楽しませていただいて、その僕の予想には間違いがなかったと確信しています。今の日本の作家で、竜騎士さん以上に箱作りの上手うまい方はいないと思います。

竜: 恥はずかしいですね。とにかく楽しんで書いていますよ。

──とくにEP2はノリノリですよね。勢いがある。先だって、真夜中の講談社BOX編集部で部員が二人同時にEP2を遊んでいたんですが、突然げらげら笑い始めて(笑)。僕は先に遊んでいたので、ああ、きっとあのシーンで笑っているんだな、って思ったりして。

竜: EP2はEP2でああいう話にしておいて、EP3はまた別のアプローチから書く予定です。悪ふざけも含めて、『うみねこ』は書いていて本当に楽しいんです。『ひぐらし』の頃は人に見てもらって楽しんでもらえたら嬉しいな、という感じだったんですが、今回は、自分で書いている段階ですでに楽しいんですよね。

──中二病的に言うところの「〝ゾーン〟に入った」ってことでしょうか。さて、これは僕が今回いちばん竜騎士さんに伺うかがいたかったことなんですが、最近竜騎士さんが07th Expansionさんの製作日記でよくお使いになる「ギアの入った状態」というのは、いったいどんなときに「入った!」と思われるものなんでしょうか?

竜: いちばん簡単なところからお答えすると、まず食欲が減退します。お腹が空いていることは知覚するけれど、そこから実際に食物を摂せっ取しゅしようとは思わなくなるんです。そうなると、集中力が飛躍的に高まっている感覚が湧わいてきますね。空腹が気にならなくなって、夜も遅くまで仕事が進む。五感が研とぎ澄すまされてくるんですね。

──そんなときの睡すい眠みん時間はどのくらいなんですか?

竜: 六時間は取っていますよ。三時間ずつ二回だったりしますけど。眠りはやっぱり浅くなっているみたいで、変な周期になるし、眠いときに寝て、それが満たされるとすぐに起きてしまいます。食欲に続いて睡眠欲もなくなるわけですね。最終的には欲求がどんどんなくなって、ただただ書くだけのマシンと化します。つまり、欲がひとつずつ切れていって、最後にたどり着く境地が、「〝ゾーン〟に入る」という状態ですね。そこでは宗教体験にも似た快感を得るんですよ。一切の煩ぼん悩のうから解き放たれる、ということなんだと思います。

──修しゅ羅ら場ばに次ぐ修羅場の果てに、無欲の境地に至るんですね。

竜: それが……この状態にも今はだんだんと慣れてきて、EP2を書いていた頃と比べると、今は「楽しいサマーキャンプ」状態なんですよね(笑)。

──じゃあ、今の竜騎士さんを作家的に追い込むには、かなりのプレッシャーをかけないといけないわけですね(苦笑)。

竜: その代わり、いったんギアが入ってきたときには、身体のあらゆる情報が他人事になってしまうんです。そのくらい集中できる。

──意識的にギアを入れるのは可能なことなんですか?

竜: うーん、非常に難しいですね。『ひぐらし』と『うみねこ』をやってきたここ五年は、まさに〝ギア探しの旅〟でした。機械的に締め切りが迫ってくれば、無理やりには入ります。ギアが入りさえすれば私は良い仕事ができるんです。だから、一日でも早く入っていたら、一日分クオリティがあがったはずで、ギアを瞬時に入れることができれば、私なりにもっとすごいことができるんじゃないかと思ってきたんですよ。そして、私なりにこのギアのスイッチが入るポイントを必死に探ってみて、「これだ!」と思うところで実際にギアを入れて書き上げたのがEP2なんです。

──「ポイント」って何が必要だったんでしょうか?

竜: 一言で言うと、環境づくりが大事だったんですね。家でだらだらとやっていても、いつまでもスイッチは入らない。修羅場になって作業場に泊まりこみを開始すると、やっぱり気合が入りますね。それから、私はテレビゲームが大好きなんですが、散々やりつくして脳を疲れさせると、煩悩から解放された状態に近くなるんですよ(笑)。中途半はん端ぱに脳に容量が残っていると、細かい、つまらない、くだらないことばかり気にかかってしまうじゃないですか。疲れた脳であれば、雑念が一切入らず、余計なことを考えなくなります。今、まさにEP3を作っているところなんですが、その境地にいったん到達しさえすれば、寝ながらにしてものを考えられるようになりました。シナリオの道筋は決まっているけれど、それに対して自然な動機付けができないときに、私はかなり悩むわけですが、そういうときは、ぱたっと寝てしまうんですよね。それで、起きたら思い付いた! ということが何度もあって。

──執筆時にはいつも音楽を聴いてると以前仰おっしゃっていたんですが、どんな音楽を聴いているんですか?

竜: 『うみねこ』はサウンドノベルなので、シーンごとのテーマ音楽を聴きながら書いています。イメージ音楽ではダメで、必ず、そのシーンで使う音楽を聴きます。音楽に合わせて執筆するんですよ。

──でも、それだと音楽が先にないと書けないじゃないですか!

竜: だから音楽家の方たちと如何いかに連れん携けいを取るかが肝きもですね。音楽家の方たちには先に作品の世界観を話しておいて、自由に作ってもらうんですよ。すごく素す晴ばらしい曲に出会うと、その曲を聴いただけで、ばーっと世界が広がってきます。プロットを組んでいて、どうにもオチがつかないと悩んでいるときに、いい曲をいただくと、聴いただけで〝見える〟ことがあるんですね。

──音楽がトリガーになっているんですね。

竜: 音楽は大事ですね。だから『ファウスト Vol.7』で書かせていただいた『怪談と踊ろう、そしてあなたは階段で踊る』は、小説という音のない世界だったので、困っちゃいまして(笑)。だから雰ふん囲い気きの近い『ひぐらし』の類似した怖い曲を聴きながら書き上げました。本当にゾーンに入ってしまえば、無音ででもできるんですが、音楽があると熱の入り方が全然違います。

──すごく面白いお話ですね! オウム真理教事件の時に活躍した脳機能学者の苫とま米べ地ち英ひで人とさんの本にも、同じようなことが書かれていました。人間に何か行動の動機付けをするためのトリガーを仕込むと、そのトリガーが発動した瞬間に瞬時に催眠状態に陥おちいって行動してしまう、という実例を苫米地さんはその著作でいくつも説明していらっしゃるんですが、竜騎士さんの場合は、トリガーである曲がかかった瞬間に、物語世界に臨場感を持って瞬時に没入できる、ということですよね。

竜: たまにあることなんですが、あるシーンを書いているときに、どうもうまくいかない、話が進まないときには、音楽の選曲が間違っているということが往々にしてあるんですよ。そんなときには他の音楽を探して遡さかのぼって聴いてみると、ああ、ここから間違っていたんだな、ということがわかるんですよね。私は『ひぐらし』を書いているときにこの事実を発見したので、『うみねこ』ではこの弱点を克こく服ふくして、選曲にとても注意するようになりました。どのシーンでどういう音楽が鳴っているかが事前にイメージできると、実際の執筆においても迷わなくなります。ただし、読んで五分のシーンでも、執筆にはやはり時間がかかっているので、一日中同じ曲をずっと聴いているときもありますよ。曲の傾向によっては耳や頭がおかしくなってくることがあります。ただし、文章ではなくて絵を描いているときは曲の種類はなんでもよくて、アドレナリンを出させてくれるような曲であればいいみたいですね。

Going "Beyond" Speed![]

スピードの〝向こう側〟へ!

──続いて竜騎士さんの製作日記で気になったキーワードに、「乱暴なまでのスピード感」(二〇〇八年四月十二日記)という言葉があります。竜騎士さんにとって何な故ぜ今、そのようなスピード感が必要になってきたんでしょうか。

竜: 私は『ひぐらし』の前半部分は牧ぼっ歌か的で、のんびりしていて、ぬるい話だと思っているんですよ。それが後半に急展開する、その〝落差〟をひとつのテーマにしているんですが、『うみねこ』は違っていて、最初から最後までぱんぱんぱんぱんっと速い展開、スピード感が大きなテーマになっています。今、EP1とEP2が出て、物語の紹介部分がついに終わったので、ようやく私の出したい「スピード感」というのを存分に出せるようになってきたなと思っています。EP2の感想で、ある人から「EP2でこんな速さで進行しているから、『うみねこ』はEP4くらいで完結してしまうんだろうか?」と言われたのは個人的にはすごく嬉しかったですね。話の展開がゆっくりだから大長編、というのは、実は褒め言葉ではないのではないでしょうか。まだ先のことは私もわからないのですが、『うみねこ』も『ひぐらし』並みの長さになると思います。それが、EP2の段階で「EP4で終わってしまうのではないか」と読者に言わしめたのであれば、スピード感が出ている証拠ですよね。

──出し惜しみしない、というのがスピード感を醸かもし出しているんでしょうか?

竜: そうですね、ぐいぐい話を引っ張っていきたい。私もまだまだ勉強中の身なので、贅ぜい肉にくの部分はそれでもまだ多いと思うのですが、物語のイントロを終えて、EP2、EP3ではどんどん話を進めていきたいですね。

──となると、EP3は、スピード感に要注目! ですね。

竜: 説明はすでに終わっているので、序盤から展開を速くしていきます。いきなり初日の山場辺りからスタート、ということを考えています。空港で落ち合って、島に船で行く、なんていうぐだぐだした部分はすっ飛ばしますよ。

──EP3でそうなると、EP5とかEP6になったらどうなってしまうんでしょうか。

竜: 後半に突入したら世界観を見直すつもりではいるんですけれど。EP4までは、ひとまとめにしようと計画しています。『ひぐらし』の和風に対しての洋風、牧歌的な山での話に対してのスピーディな海での話、と、いろんなところで『うみねこ』ならではの世界観を出していきたいですね。

──大おお塚つか英えい志じさんが原作をお書きになられた漫画『多重人格探偵 サイコ』のあとがきで、「速度が全てだ」と仰っているんですよ。その大塚さんがこのあいだ講談社BOX編集部に遊びにいらしてくれたときに、僕は大塚さんに『ひぐらし』と『パンドラ』の読者ハガキをお見せしたんです。そうしたら、その読者ハガキにびっしり書き込まれた感想が『サイコ』の初期の頃の感想とよく似ている、と仰ってくれて……「速度がない作品はミドルティーンには届かない」というのが大塚さんの持論なんですが、『ひぐらし』にはその「速度」があるんです。

竜: 流行はやり廃すたりもありますし、「スピード感」が全てとは限らないとは思うんですが、物語の進め方として、速度という要素は大きいウェイトでありますよね。映画で言うと、日本の戦前/戦後、ハリウッド/非ハリウッドでは、スピード感が全然違いますしね。大きく言えばそれは演出の違いになると思うんですが、今回の『うみねこ』はスピードを重視している、ということになりますね。

──『ひぐらし』の読者は二十代が多いだろうと思って読者ハガキを読んでみたんですが、実は十代の中盤の読者に圧倒的な支持を得ているんですよね。なんでなんでしょうね?

竜: 女性の読者の方も多いですよね。秋あき葉は原ばらの「ポワソン ルージュ 金魚茶屋」さんでイベントをさせて頂いたときも、六割が女性でした。年齢層も幅広くて、嬉しかったですね。私はね、もう本当は読者の皆さん全員に伺いたいんですよ、どこが面白いんですか? と(笑)。BOXの読者ハガキでは、私からの質問欄らんが設けられていますけど、そこで直接聞きたいくらいなんです。

──ハハハ(笑)。竜騎士さんには読者ハガキをお渡ししているので、皆さん、どしどし面白いと思うところを書いてくださいね。……さて、話を戻すと、大塚さんがある時期に『サイコ』で果たした役割を、今は竜騎士さんの『ひぐらし』や『うみねこ』が担になっているんじゃないだろうかと僕は思います。今の若い人たちの人生のカーブを一斉に激しく切らせている作品なんだと思うんですよ。

A True Challenge! The "Red Text System"!![]

まさにチャレンジ! 「赤字システム」‼

──さて、いよいよ『うみねこ』EP2の中身について伺いたいと思います。まず声を大にして言いたい! EP2で展開される「赤字システム」は本当にすごいです‼

竜: 赤字システムこそ、アンチ・ミステリを成立させるためのひとつの布石なんですよ。

──そう、最高にすごい発明です。ミステリー史に残したい。

竜: 『うみねこ』というのは、アンチ・ミステリ、アンチ・ファンタジーで、赤字システムというのはその二つを支えるものですね。面白い要素かな、と思いついてやってみたら、案外評判が良かったので……。

──僕は本当に、本当にすごい発明だと思っていて、ミステリ業界の方々はもっとこれについて騒げばいいのにと思うんですよ。

竜: 難しいですよね。赤字システムはメタ視的な立場に立っているので……、「メタ」というだけで本格ミステリとしては駄だ作さく扱いされてしまいがちじゃないですか。今のミステリファンは随ずい分ぶんと守備範囲が狭くなってしまったところがあると私は思うんですが、戦前のミステリは怪奇小説とも呼ぶべきものが隆盛を極めていたんですよ。だからひとつの事件が起こった時に、推理が可能かどうかすら明かされていなかったわけです。そういう意味で、「本格推理」というものは、つまり「この謎は解けます」と宣言しているということですよね。

──あの江え戸ど川がわ乱らん歩ぽが、書いている途中で投げている作品もありますよね。すみません、オチがつけられなくて、と読者に謝っている作品。『悪霊』だったかな、「どうしても話の最後がまとめられなくなったので、この作品はなかったことにしてください」みたいな謝罪文を読んだ覚えがあります(笑)。

竜: 『うみねこ』は乱歩の世界観を目指しているので、戦前推理小説×怪奇小説×幻想小説、という奇妙な味を持たせたいですね。私が一番面白いと思っているのはその頃のミステリなんです。

──本来、ミステリというのは、えらそうな文学の系統ではなかったんですよね。乱歩自身もミステリを畸き形けい文学だと誇りを持って自認していたわけで、なんでもありだったんですよ。

竜: キワモノでしたよね。ところが今のミステリは、歌か舞ぶ伎きを見ているようです。昔は庶民の娯楽だったものが、いつの間にか減点制の古典文学になってしまって、偉い人が偉い人を接待で連れて行くようなものになってしまった。

──変な遊びがなくなっていますよね。僕、去年の十二月にアメリカ版『ファウスト』のプロモーションのためにニューヨークに行ったときに、ハラペーニョ・ソースのお寿す司しを食べたんですよ。美味おいしかった。せっかくアメリカまで来たんだからと日本人から見れば「変」な創作寿司をのきなみ頼んでみたんですが、結構美味しいものも多かったんですよ。「寿司」という既成概念に良くも悪くも囚とらわれてないわけですね。

竜: ミステリはもっと楽しいものだったはずなんです。今のファンの方にはそれを思い出して欲しい。

──そうですね。EP2をプレイして赤字システムを拝見したときに、これが竜騎士さんの現状のミステリ・シーンに対するひとつの答えなんだな、と思いました。

竜: 遊び心だらけで作っていますからね。『うみねこ』は、ミステリを愛して書いた作品です。だけど、私はこの先も『うみねこ』を「ミステリ」とは言いません。なぜならば、「ミステリ」の定義は人によって違うからです。ただ、近年言われている定義は、0.001か0.002かの、ほんの小さい差異だけに着目して争われている気がする。私は本当は、ミステリはそんなに堅苦しいものではなくて、もっとわくわくして楽しいものだと思うんです。

──乱歩の作品だって「エロ・グロ・ナンセンス」という罵ば声せいを浴びせられていた。同時代においては高尚なものでは決してなかったはずなんですよね。

竜: 江戸川乱歩先生がすごいのは、あらゆるジャンルの融合をしているところですよね。『うみねこ』は「本格か、変格か」をテーマにしていますが、徹底的に突き詰めたら、物語はすべて疑われるべきなんですよ。たとえば、EP1はすべて誰かの夢の中で起こっていることなんじゃないか、とか。

──そうですね。そういった意味でも、真と偽を断定するこの赤字システムは、もっと評価されるべきだと強く思いますね。

竜: 相当広範にミステリを読んでいないと、この仕掛けが珍しいということは分からないのかもしれませんね。今の読者は、作中の人物が平気で噓うそを吐くなんて思いませんからね。

S and M[]

SとM

──乱歩の話が出てきたところで、竜騎士さんのサディズム/マゾヒズム観について伺いたいと思います。

竜: 『ひぐらし』でも拷ごう問もんは出てきましたが、あちらは横よこ溝みぞ正せい史し的な、寒村の日本的な変わった風習寄りですね。楽しみのためにやっているわけではない。

──刑罰なんですよね。

竜: 一方、洋風の『うみねこ』には、どうしても快楽が伴う。ややもすると、淫いん靡びなテーマ性があって、そこが江戸川乱歩なわけです。この世界観を体験して「変わっているな、でも面白いな」と感じたプレイヤーがいたら、ぜひ、古い作品を読んで頂きたいですね。戦前ミステリはそういった感覚による奇作・怪作が多いですから。

──そうそう、僕もそういう話がしたかった(笑)。EP2ではサド・マゾの上質なエッセンスがふんだんに盛り込まれていて、色々と考えさせられました。ラストはひどかったですねー。

竜: サド・マゾに対しては実は紗音しゃのんが答えを言っていて──サドもマゾも相手がいるからこそ成立する行為なんですよね。だから相手に無視されることが一番耐えられない。紗音が魔女に「無視します」と宣言しているのは、魔女が一番傷つくことだからなんですよね(笑)。

──サドとマゾは関係性の話ですからね。ラスト、戦人ばとらが裸はだかで〝人間椅い子す〟になってしまうじゃないですか。あれは、まさに乱歩に対するオマージュだと思ったんですが。

竜: 本家は椅子の中に人が入っているんですよね。

──しかし、竜騎士さんは戦人をもう身ぐるみ剝はいじゃって全ぜん裸ら椅子にしている!

竜: 人間が椅子になると言うのは、完全に江戸川乱歩先生へのオマージュですね。

──公開家具ですよね。

竜: たいていのプレイヤーは主人公に自己投影しているはずなので……。

──中にはきっと、ものすごいマゾ的な快楽が生じてしまっている人もいるはず(笑)! これぞウィタ・セクスアリスですよ。

竜: 一部のクリティカルな人たちは大喜びですよね(笑)。

──はははは。「もっと、もっとお願いします、ベアトリーチェ様!」みたいな。

竜: まさにマゾヒズムのススメですね。

──SM関係において、ベアトリーチェに仮か託たくして読むこともできるし、戦人の身にもなれる。そこが深い。『ひぐらし』では、友情が大きなテーマとしてあったと思うんですが、『うみねこ』では、そういった言葉では割り切れない大人の事情が大きなテーマとしてありますよね。

竜: もっと泥どろ臭くさい話になっていますね。

──『うみねこ』がきっかけでSMに目覚めるプレイヤーも出てくるんじゃないでしょうか。

竜: そういう倒錯的な世界観も、乱歩の魅力ですよね。江戸川乱歩の作品を読んでいると、自分が猟りょう奇き殺人犯になって、彼らの思考を理解した気になってくるんですよね。これは抗あらがいがたい魅力ですよ。

──天てん井じょう裏を徘はい徊かいしている人物の気持ちが分かってくる。いや、むしろなんで自分は今まで天井裏を徘徊していなかったんだろうとさえ思ってしまったりする。そこが乱歩の魔性なんでしょうね。

竜: 繰り返しますが、『うみねこ』は、江戸川乱歩をはじめとする戦前の古典ミステリへのオマージュです。今のミステリファンの多くはミステリの定義を厳密にして、無菌状態を求めますが、本来、ミステリはもっと雑多で、ワイルド。冷酷な剃刀かみそりみたいな、上品で切れ味のいいものだけではなくって、血で錆さびてしまったような、ズタボロな抜刀もあっていいと思うんです。

The Four Elements of Using "Tasuki"[]

四大要素の〝たすきがけ〟

──『うみねこ』には〝魔法〟も飛び出てくるんですが、これも竜騎士さんのジャンルの融合というお考えの表れですか?

竜: こちらはアンチ・ファンタジーですね。ミステリとファンタジーは相あい容いれないものだと思うんですが、それが入り混じるのはどういうことなのか、ということを一度じっくり考えたいんですよね。あと一、二年したら、この話を太田さんとしたいですね~。今はまだできなくてすみません。

──またしましょう!

竜: 今言えるのは、魔法はファンタジー/アンチ・ファンタジーというテーマの表れで、赤字システムや密室殺人というのは、ミステリ/アンチ・ミステリというテーマの表れだということです。「ファンタジーとアンチ・ミステリ」、「アンチ・ファンタジーとミステリ」は両立すると思うんです。

──壮大な企たくらみですね。

竜: 祟たたりだと思っていた事件が後に人間の仕業と判明する、というのは、「アンチ・ファンタジーとミステリ」が成立する瞬間ですよね。逆に、たとえば奈な須すきのこさんの『月姫』などで、おかしな猟奇殺人があって、人によって起こされたと思われたものが、実は人ならざるものの犯行だった……とあるのは、「ファンタジーとアンチ・ミステリ」のことですよね。この四要素のたすきがけの中間地点──ファンタジーとミステリは両立できるのか、アンチ・ファンタジーとアンチ・ミステリは両立できるのか──を考えたときに、近代のミステリにおいては、ファンタジーとミステリを一緒にすることは、洗剤の「まぜるな危険」の組み合わせそのものだと思われているわけです。しかし江戸川乱歩の古典ミステリの頃には、そういう垣根はなかったんですよ。もっとぐしゃぐしゃだった。境界は解け合ってた。私はそれがとても素晴らしいと思う。そういう意味で、『うみねこ』のひとつのテーマは、〝古典ミステリへの愛〟なんです。それに加えて、私なりのアンチ・ミステリ、アンチ・ファンタジー論なんです。「ファンタジーを認めなければミステリで解釈せよ。ミステリを放ほう棄きするのであればファンタジーで解釈せよ」。あんなにまで堂々と魔法みたいなシーンが出てきたら、プレイヤーはどう解釈するのだろう。逆に、明らかに状況不詳な密室殺人をどう解決するのか。しかも、困ったことに、従来の推理小説のように、ドアの詳しい説明は書いていない。一般人の持ちうる情報しか与えられていない。ただ、残酷にも魔女は赤字で「ドアは閉まっている」「出入りはできない」「隠し扉はない」と、高らかに宣言するわけです。この状況で人はどう言い逃れができるのか。EP2では、戦人とベアトリーチェの論点を、鍵に複製があったのかなど、ミステリ的に見ていた。EP3では、もうちょっとアンチ・ファンタジーな立場──ベアトリーチェが期待する角度──から、もっともっと絶望的な屁へ理り屈くつのような論争をするつもりです。

〝時代〟へのノスタルジー

──EP1、EP2とプレイして、〝昭和〟という時代がすごくクローズアップされていると改めて感じました。昭和は『ひぐらし』という作品にも通奏低音として流れていて……戦後の昭和は、雛ひな見み沢ざわみたいな場所が次々に開発されていくような時代だったんですよね。列島改造というトピック。それに対して『うみねこ』では、バブル前夜という大きな昭和的トピックがある。竜騎士さんにとっての昭和という時代は、どんな時代だったんでしょうか?

竜: 私にとって昭和とは、「ついこの間」と「ファンタジー」の入り混じる境さかい目め……現実と幻想の境目なんです。たとえば、平成の今を生きる私たちが明治や大正を語る場合、これはもうファンタジーなんですよ。もちろん、明治や大正は歴れっきとして存在した現実なんですが、江戸時代まで行くと、限りなくファンタジーですよね。私たちは生まれていないから、その時代を知らないんです。だからそれはファンタジーなんです。

──僕らからすると、一九八〇年代の末は「ついこの間」の感じがしますよね。

竜: そうそう、そのギリギリ感が欲しいんですよ。『ひぐらし』は昭和五十八年で、今回は昭和六十一年としているんだけど、私が執筆を続けていく時期が経つにつれ、作品の舞台となる年代も順に後の時代にシフトしていくと思いますね。だからこの先の作品の舞台は、平成もありうると思います。たとえば、今から二十年後に私が執筆していたとすると、その頃にはもう昭和五十八年はものすごい大昔になっていて、読者は「昭和なんか知らないよ」となっている可能性が高い。つまり、その頃に昭和五十八年を舞台にするとその作品はファンタジーになってしまう。

──昭和にこだわりがあるわけではなくて、現実との境界にあるようなところをずっとお書きになっていきたいわけなんですね。

竜: そうです。私にとってのクリティカル・ゾーンは、執筆している瞬間の二、三十年前なんじゃないかと思います。これは、私のメイン読者層が十代~三十代として考えてみると、彼らが子供の頃にうろ覚えている情景ということですね。まだ「迷信を鵜う吞のみにしていた時代」を舞台にしたいんです。

──二〇二〇年ごろになったら竜騎士さんは、小お渕ぶち恵けい三ぞうが「平成」という紙を持って年号を報告するシーンを書いている可能性がある、ということですね。

竜: ええ。そうやって時代がどんどんずれていくと……『ひぐらし』の頃には携けい帯たい電話を使いたくない、と言っていたけれど、ノスタルジックなムードなのにケータイが登場する作品を書く日もきっとやってきますね。あるいは、ポケベルやピッチ(PHS)が登場しているんでしょうね。

──ポケベルはミステリーのガジェットとして面白いかもしれませんね。数字だけでしか通信できないから、込み入った話をするために慌てて公衆電話を探したりして。

竜: ポケベルの時代は短かったですね。すぐにピッチに移行してしまいました。懐かしい。

──一時のポケベルの盛り上がりはすごかったですよね。

竜: 今にして思えば、あんな不便なアイテムをどうやって使うんだろうと不ふ思し議ぎですが……ということで、私自身が昭和の生まれということもあって、今、昭和をノスタルジックに書いてはいるんですが、これから二、三十年後になって、昭和を知らない読者が出てきたときに、果たして昭和を書く必然性が私にあるのかどうか。

──つまり、時代を遡っていくのではなくて、そのまま順にスライドしていく可能性が高いということですね。

竜: 私にとって常に書くべきポイントは、「現実と迷信が入り混じっていたあの頃」ということになります。

──面白い! 境界上にある時代を永遠に書いていきたい、ということなんですね。

竜: 現実と非現実がギリギリ融合している──現実的な話なのに、どこかおとぎ話が入り込む余地のあるノスタルジックな世界観。それが私のもっとも好きなフィールドなんだと思います。

『うみねこ』の未来へ……!

──最後になりますが、EP3の構想はいったいどうなりそうですか?

竜: もうお気付きかと思いますが、『うみねこ』はややループものではあるんですが、はっきりと時間軸が続いている話で、いわば連載なんです。『ひぐらし』は一話、一話パッケージ化されていて、一見他の話とリンクしないようにみえる。対して『うみねこ』は、はっきりと前の話を引きずっています。というわけなので、EP1、EP2を受けて、魔女と戦人の話は第三ラウンドにもつれこんで更にヒートアップします。戦人は、前回までの失敗から学んで、戦い方がだんだん狡こう猾かつになってきています──魔女との戦い方のコツが分かってきたということですね。つまり、時にはマクロの視点で戦わないといけないということに気づいてくる。魔女の目的は結局は「魔女を認めるか否か」という一点なので、戦人が迂う闊かつに「鍵の本数が~」みたいなミクロな論法にとらわれすぎると、かえって搦からめ捕とられることがある。大事なのは、魔女を否定することなんです。

──もっと俯ふ瞰かんの視点で見なければいけないんですね。

竜: それから、前回の戦人の屈くつ辱じょく的な敗北もあって、魔女がかなり有利な展開でスタートします。チェスと同じで、強い方は駒こまをどんどん取っているから有利なわけです。ただ、プレイヤー──とくに『ひぐらし』出身の方は、物語をチャートとして見るので、エピソードが出れば出るほど、そこから情報を抽ちゅう出しゅつして読む、というやり方を知ってしまっている。だからEP1は、難易度としては前回までと同じくらいプレイヤーにとっては難しいんだけれど、実は、同時にベアトリーチェにとっても難易度が高いということになるんです。

──ベアトリーチェには鏡のようなところもあるから、相手だけを一方的に追い込めるということもないんですね。

竜: EP2では、ベアトリーチェは大変有利だったんです。攪かく乱らんし放題で戦人を追い込んだ。ただし、そうやって手を重ねるごとに情報を抽出されてしまう──これは早い話が、ベルンカステルがプレイヤーの側についているから、ということもあるんですが……もし、ベルンカステルがいなかった場合は、『うみねこ』は一話完結の物語なんですよ。

──ベルンカステルがいるからこそ記憶が引き継がれていくんですね。

竜: 第一話は点が一個で何をすればいいか分からなかった。第二話では点が二つになって線になった。第三話では点が三つになってついには面にまでなってしまった。これまでベアトリーチェが煙けむに巻いていた部分が露ろ呈ていしてしまう可能性がある。さすがに三度目になってくると、手の内が読まれるようになってくるんですね。第三話は、ベアトリーチェにとっても危険な話になっています。戦人にとっても、ベアトリーチェにとっても、プレイヤーにとっても難易度の高い話になっています。

──うーん、聞けばきくほど楽しみです。僕はやっぱり、今までの彼らのサドとマゾの関係が、谷たに崎ざき潤じゅん一いち郎ろうの『刺し青せい』ばりに逆転する日を夢見ていますよ!

(二〇〇八年四月 都内にて)

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